ポコ◯ン族事件
この前ある会で某お⚪︎くんが、「〇〇さんはポコ◯ン族なんですね。」なる発言をして、度肝を抜かれた。
「えっ?あのおっ◯んが下ネタ…?!しかも堂々と何の躊躇もなく?!」と一瞬焦ったんだけど、すぐに「ポ◯チン族=エレクトラコンプレックス」の事を言ってるのだと理解して、私は自分の動揺を隠し「ああ、エレクトラコンプレックスですね。私もそうです!」と話を続けた。
エレクトラコンプレックスとは心理学用語で、
・男性とすぐ競争しちゃう女性の心理の事。女だからって舐めんなよ!合言葉は「お前ら男のくせに!ち◯ちん付いてんのか?!」
という、思考パターンを持つ女性の心理の事を言うんだけど。昔のユングさんという人が提唱したらしい。(かなり色々割愛してるけど、大体こんな感じ)
そのエレクトラコンプレックスの事を、「ポコチ◯族」という、何とも愛らしい名称で「〇〇さんはご飯派でしたよね?」みたいな感じでサラッと言ってのけたおっく◯に衝撃を受けたのである。
これ、「◯コチン族」なのがポイントで、間違っても「おち◯ぽ族♡」ではいけないのである。それでは一気にアダルティな怪しい雰囲気を醸し出すし、別の意味合いが入ってきそうな感じがする。
何故私が「エレクトラコンプレックス=ポコチン(もう隠すの面倒くさい)族」に対して衝撃を受けたかと言うと、「エレクトラって言ったら凄いめんどくさそうな治さなきゃいけないコンプレックスみたいに感じるのに、ポコチン族って言ったら何か一気に可愛げが出てきた…!」と感じたからなのである。
私自身、「私はポコチン族の長じゃないか?!」って思うくらいエレクトラコンプレックスど真ん中の人間なのであるが、このコンプレックスの定義を知った時に、「わ〜、これ治さなきゃいけない病気じゃん…!」と感じてしまったくらい、自分の中にコレがある事を「ダメな事」と捉えてしまったんだよね。
そんな「あったらダメに感じる事」が、「ポコチン族」と名称を変えるだけで、「何だかとても可愛らしい、所属してたら笑える一族」に変わったような気がする事が、私にとって衝撃だったのである。(しかもそれを「当たり前の事」みたいにサラッと言うおっくんが、また衝撃的)
この、「エレクトラコンプレックスをポコチン族」と言う事によって、脳内では
「あたちもお父さんやお兄ちゃんと一緒に狩に行く!何で女の子は行っちゃダメなの?!」
「あたちだって、男の子と同じ事出来るもん!お〇んちんだって、その内生えてくるもん!」
「あたちだって、やれば出来るもん!」
って顔真っ赤にして叫んでる、小さな可愛い女の子が浮かんでくるのである。
そう、ポコチン族の女性は、心の中に「あたちだって出来るもん!」の小さな可愛い頑張ってる女の子が居るって事なのである。
この「エレクトラコンプレックスをポコチン族と呼ぶ」事で、エレクトラコンプレックスが「治さなきゃいけない不治の病」から、「自分の中に、頑張ってる小さな可愛い女の子が居るだけ。」に捉え方が変わったのだ。これを衝撃と言わずして、何と言うのか。
て事はだよ…?!自分の中で「治さなきゃいけない事」と捉えてる他の事も、「なんか気の抜ける、可愛らしい名称」に変えたら、「別に治さなくてもいいや!これは個性だし」に変わったりするんじゃないか?という気持ちになってきたのでありますですよ。
「自分の持ってる個性を認める事」これが生きやすくする絶対的条件だと私は思ってるので、
先ずは「ダメだと思ってる自分の特性を、呼び方を変える事によって捉え方を変える」
はかなり有効な手段なのではないか?と、今回の「ポコチン族事件」で実感したのであります。
これから他の事にもこの法則を使ってみて、何か手応えがありましたらまた随時報告したいと思います。現場からは以上です。