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非日常的な探偵もどきの日常 その1

はじめに

探偵まがいの仕事を始めて、びっくりするけれど20年以上が経とうとしている。人間に興味があって始めた仕事だが、飽きもせず毎日毎日、ひたすら走り回っている。依頼者の訴えを聞き、関係者への聞き込み、状況検分、総合的に瑕疵がないか分析、そして結果を導き出し報告書を作る。依頼者が納得すれば、調査は終わる。納得しなければ追加調査が加わって、また最初からのやり直しだ。継続調査の合間に新規事件の調査も入ってくる。仕事は好きだ。なにせ一つとして同じ事件はない。こんなことを20年以上、年がら年中繰り返している。
しかしながら、大好きな仕事ではあるものの基本的に一人仕事であり、20数年やってきた事件は過酷だったり一人きりで抱えていることが年齢を重ねるごとに辛くなってきている。辛い。本当に辛い時がある。そこで私は色々な事件で出会って感じたことをここの場を借りて、吐き出していこうと考えている。

あるパーティにて

先日、ある経済界の重鎮のパーティに珍しく呼ばれた。司会の御仁にご縁があって声が掛かったのだが、こんな泥の中を走り回っている人間を呼ぶなんて酔狂もいいところだ。
出席の返事を出していたが、仕事で遅れてしまった。パーティはもう半分を過ぎていて、ビンゴが始まっていた。私のテーブルには料理がこんもりと盛られている。バイキング形式で、そのテーブルの誰かが気を利かせて取っておいてくれたらしい。優しい人がいたものだ。
「このビンゴ、良かったら使ってください」
そう隣の席のロマンスグレーの紳士がビンゴカードを渡してくれた。貴方の分では?と聞くと
「いいんですよ」
と微笑んでくれた。なんだこのイケオジは…異様にフェロモンがダダ洩れなんだけど。

普段は全く拝むこともない、ちゃんとした肩書を持った人の集まりで泥酔するのも何なので、ジュースを飲みながらオードブルを食べていると、同じテーブルの人がどんどんビンゴを当てていく。そんな中、私は全く当たらない。私がそわそわしていると、隣のイケオジも
「当たりませんねえ」
と心配してくれる。その時私を呼ぶ声がした。振り向くと以前私が調査依頼を受けて、無事に解決した事件を依頼してきた某建築会社の社長さんだった。久しぶりですね、と彼は嬉しそう握手をしてくる。すると隣に座っていたイケオジが
「知り合いなんですか?!」
と吃驚するように、イケオジが社長に問いただし始めた。
そのロマンスグレーのイケオジと私の知り合いは同業者だったらしい。と言っても、このイケオジ、私でも知っている建築物をいくつも設計した有名な建築士さんだった。

イケオジとバトル?

その後、ロマンスグレーイケオジと私は話し始めた。好奇心がムクムクと湧き上がってきた。私は職業病、もといワクワクしながらイケオジの話を聞き始めた。
その方の親御さんは元々国の役人で、イケオジは数年おきに海外の国々を渡り歩くエリート公務員の一人息子らしかった。どの国に行っても親は留守だし、大体運転手さんに連れられてその国々の文化遺産を訪れた経験から建築に興味を持ち始めたらしい。でもそのイケオジも中学からは一人日本に帰ってきて、以降家族と暮らすことなく、今は優雅な独身貴族らしい(多分バツはいくつかありそうだ)。
そうこうお喋りしているうちに、パーティの主役がテーブルに回ってきた。その隣には爽やかな跡継ぎの息子さんがにこやかに笑っていた。今回のパーティは跡継ぎのお披露目も兼ねているらしい。満面の笑みを浮かべる親子を見ているうちに、ふとある事件のことを私は思い出していた。

事件の想い出

その昔内密に調査に入った小学校は、学費が高いだけあって裕福な家庭の子弟が多かった。なんとこの学校の親の平均世帯年収は日本の平均世帯年収を4倍は超えているというとんでもない学校だった。私は様々な学校に調査に入ったことがあるが、セレブと言われる家の子が通う学校の中で、裕福で幸せな家庭という光の一方、家族関係の希薄さや、親子で一緒に過ごす時間の少なさが、その眩い光の影のように横たわっているのも忘れられなかった。

社会的に有能で重要な仕事に就いている親は年がら年中帰宅が遅い。そして、単身赴任率も高く、母親はワンオペで家事育児と奮闘している。または両親ともに忙しい場合、祖父母が、お手伝いさんが育児を担う。
「会えない時間分、濃密に愛情を与えています!!」
と叫ぶ親はもちろんいるし、時間じゃなくてその質で愛情が足りている子どももいる。それはわかっている。だが私は客観的事実として親と過ごす時間が少ない子がいる、と言っているのだ。

私が関わった事件では、聞き取りのため父親を呼んで欲しい、とお願いした時母親は、
「子どもの事で父親を呼ぶなんてできません」
と不満げに答えた。子どもが何をしても、父親に話す気がないのか、頑張って仕事をしている父親に迷惑をかけたくないのか。確かに私は警察でもなく、強制力は皆無だ。ただ協力をお願いしたに過ぎない。父親との面会を頑なに拒まれると、母親は父親に子どもの不祥事を耳に入れたくはないのかもしれないとまで勘ぐる気分になってしまう。
まあ色々な家庭の事情があるのだろう、ここに一つの家族ノカタチが見え隠れする。しかし民事裁判という段階になれば母親も仰天して、押し出しの強い父親とやり手な弁護士を連れてくるのだが。

話を元に戻そう。イケオジと何の話からか、
「どんなエリートか知らないけれど、子どもを持ったのならば、父親は仕事なんてうっちゃって、さっさと家に帰って子どもと一緒に過ごして欲しい」
と私は言い切った。私は決して酔っていたわけでもない。アルコールは全く摂取していない素面の状態。折角のフェロモンダダ洩れのイケオジと一緒でなんでこんな話になったのだろうか…色っぽい展開の一つがあっても良かったのでは?ほんの少し後で勿体ない気持ちになった(笑)。
私が少し子どもについての一連の経験を話すと、イケオジはなるほど、と鷹揚に頷いてくれた。だが
「親と一緒にいれないなんて、それこそ世帯年収の低い家庭も多いでしょう。金持ちの子どもだけの問題でもない、どこでもよくあることだ」
そう私をチクリと刺してくる。
「そりゃそうです。もちろん生活がきゅうきゅうな家庭にもいろいろありますが、それはまた問題の質が違う」
裕福な経済力の中で育ったであろうイケオジに別に偏見も嫉妬もない。だが、そこに問題があるのに、そんなの珍しくない、普通の事、で私は済ませたくないのだ。

子どもは親を選べない。不幸にも激しい虐待を受けた子も、幸せな幼年時代を送った子も、選んでそうなったわけではない。親がいなくても健全に育つ子もいれば、何もかも過不足がなくても病む子もいる。親と子の組み合わせもあるのだろう、ただ色々な事件を見てきて思ったことは、子どもには全く罪はないということだ。子どもは環境を選べない。

このイケオジにわかってもらえたのだろうか。ジュースを飲みながらその後も違う話もしながら、結局30分ぐらい話し込んでしまった。
その後イケオジは私に別れの挨拶もなくふらっと違うテーブルに行ってしまった。こんな話に興味はなかったのだろう。悪いことをした…とは実は私は思っていない。というのも、このイケオジは今度子ども向けの施設の設計を頼まれた、という話から始まった私の熱弁だったからだ。子どもの切ないぐらい愛を求める姿を想像してほしかったのだ。私の完全なエゴとはわかっていたが。

終わりに

様々な事件を通していつも思う事。子どもは大人にもっと時間を取って欲しいのだ。幼少期の思い出が大人になってどれだけの宝物になるのかわからない。もちろん、保育士さん、学童の指導員、近所の大人、様々な出会いがある。だけど、親はたった2人しかいない。親にしか与えられない言葉が、愛情がある。私はそう信じている。寂しい子どもの顔が浮かんでは消える記憶の中で、私は強くそう思うのだ。

私は結局最後の最後にビンゴに当たった。デカい花柄の包装紙の箱と、熊の袋に入った小さな箱が置いてあった。花柄の包装紙が綺麗だったので手に取ったら、司会者に
「こっちがいいですか?」
とにこやかに笑いながら、有無を言わさず渡されてしまった。

師走の繁華街はネオンと忘年会帰りの人で溢れていた。クリスマス、お正月…。どうか日本中の誰もが幸せであればいいなあ、と思いながら家路を急いだ。

ビンゴに当たった景品は大きくて重くて、電車の中でも苦労した。自宅で開けてみたら…とてつもなく大量にホッカイロが入っていた(笑)そりゃ重いはずだ。

また明日も仕事仕事、家事育児。こま鼠のような毎日は続いていく。

Fin

クリスマスってさ、私だってプレゼント欲しいし、誰もが何かを貰ってもいい日じゃない?

付記
この話は多少人物を特定されないように加工はしています。大人は大変なんだよ!!という意見も重々承知しておりますので、ディスリ感想はご遠慮します。このエッセイはただの私の個人的意見に過ぎません。

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