非日常な探偵もどきの日常 番外編
はじめに
今でこそ探偵もどきの調査分析のプロとして働いていますが、私だって普通の会社員として勤務していたことあるんですよ!!(胸を張る(^▽^)/)でも、たったの数年だけど。
実は母の命日が近くて、色々整理していたら、まだまだ私の服が押し入れの奥から出てきて、つい母の思い出を語りたくなりました。なので、母記念のエッセイです。ちょっと物語を捻ってはいますが、大筋はこんな感じです。
あの頃の私は確実に母の作った服に支えられていた。
私と戦闘服
母は洋裁に憑りつかれている。洋裁を覚えて、初めて自分の服を縫った時から、自分の服は全部手作り、既製品は買ったことがないという。私が生まれた時、自分の作った服を着せられると狂喜乱舞したらしい。
そして、産着や布おむつ、ロンパース、生まれた時から母の手縫の服を着せられ私は育ってきた。それ自体全く不満もなかった。むしろ可愛いし、気に入ったものばかりでずっと母の作る服が好きだった。
だが、小学校に入学して、しばらくしてからの体育の時間の着替えの時
「そのパンツどこの?」
と同級生に聞かれた。
私は普段通り、母の作った木綿の白パンツを履いていた。友達のパンツには店のロゴが印刷されていた。こっそり他の子を見ると、同じようにロゴがある。友達は言った。
「服は普通お店で買うよ」
帰宅後、私は母に喰いついた。
「私もお店のパンツがいい。私だけ普通じゃないよ」
私は必死だった。私は友達とは違う、母の作ったパンツが恥ずかしかった。
その後の事をよく覚えていないが、数日後私はお目当ての友達と同じパンツを手に入れた。
***
小柄な母に似ず、幼い頃から私はデカかった。入った野球チームで案外この長身は役に立ち、ピッチャーとしてそこそこ活躍した。
高校を経て実業団に入団、エースとして数年活躍した。だが長年酷使したせいか、いつしか肩を痛め、リハビリの甲斐もなく、私はひっそりと引退した。そして、私はそのまま社に残った。
数年活躍したが、その後に故障しても捨てることなくおいてくれた会社に恩返しをしたかったが、実際始めてみると仕事はミスばかり。それはそうだ、野球馬鹿の自分にごく普通の常識は欠けているし、事務能力は皆無だった。あまりの失敗続きに
「君さ、営業部に行け。座った仕事は無理でも野球で鍛えた根性はあるだろ?」
根をあげた上司が勝手に営業部に私を放り投げた。
元女子野球部のエース=お荷物、になり下がった私に皆冷たかった。中々取れない契約。何より昔の私を知って憐れむ人や馬鹿にする人に心が折れた。
「役に立たない、バカでか女」
そう職場で揶揄されていたのも知っていた。
「今日も契約取れなかった」
しょんぼりと帰ったある夜、母が待っていた。
「毎日お疲れ様」
怒られてばかりの日々に母の笑顔が沁みた。母はふと袋を手渡してきた。中身は白地に黒い花模様のジャケットと真っ白なパンツ。ん?この柄、見たことある。
「あ、わかった?このジャケット、昔の私の服。下のパンツもそう」
母の服2着が1着のパンツスーツにリメイクされていた。
「あなたに元気を出して欲しくて」
深い愛情に心が緩む。野球をやっていた頃と同じように私を励ます声。
―頑張れ、きっとできる―
***
「いつもながら、服すごいね」
今日のスーツは、目が覚めるような緑のジャケット、青いボタニカル柄のパンツ。確かにどこにもない一点物。この派手なスーツは私の戦闘服だ。
母の服を着てからの私は吹っ切れた。次第に契約が取れるようになった。
母の服が生まれ変わり、私の戦闘服になる。この服を着るだけで勇気が出る。心には母の声。
「外回り、行ってきます!」