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日常の記録~発達障害の我が子を育てて~どうか1人で悩まないで。君は唯一無二。

発達障害の我が子を育てる際、如何せん同級生の保護者様、ご近所様の目が気になってしまう時がある。その目が気になる事は致し方がない事である事、そしてその目は己の心がそのように見せている事である事。
それは相手との対話がそもそもない状況下であり、一言で言えばただの赤の他人である事に尽きる。
しかし、赤の他人であったとしても一喜一憂を共にできる人が数多く存在している事を忘れないでほしい。
認め合う事さえできれば笑顔へ自然に繋がっていく事をどうか忘れないでほしい。


動物との触れ合い

発達障害の疑いが拭いきれない長女にしてきた事。それは「自分より弱いものへの接し方」だ。
「泣く」しかできない長女は、感情の世界のヒエラルキーでは下位にいる事であろう。
その事は長女自身も己が弱いとの自覚をしている様子が伺える。まだ1桁台の幼い子供に「強い」「弱い」の選択は酷だとは思いながらも、大切な事であると確信していた矢先、たまたま捨てられていた子猫を偶然発見した。
これは何かの運命か…。と、もはや必然であったかのように子猫を我が家の家族に招き入れた。
そして、なんと、その子猫は長女の隣でしか寝ないのだ。まだニャーとは鳴けず、ミーと叫ぶように鳴く手のひらサイズのその子猫は長女の横で安心しきった姿で寝るのだ。
その子猫の姿に長女も責任感が芽生え、弱い者を守りたい気持ちが日々育っていくの間近で感じる。
優しさだけで生きているこの小さな世界の風景はまさに長女が作った世界であり、長女だけの唯一無二の世界。
この世界を木の上で立って見られるのが親の特権
。この特権だけは誰にも譲れないな!!


発達障害??孫は普通の子だろう??昭和の両親の価値観

困った事に「発達障害」という言葉は家庭内にまで弊害を生んでしまう。
私は長女が小学校1年生の頃に学校へWISCをお願いした。

WISCとは?
WISC(ウィスク)検査は、子どもの知能を測定する検査で、ウェクスラー式知能検査の一種です。子どもの発達状況や得意・不得意な部分、知的発達が同年代でどれくらいの位置にあるのかなどを把握することができます。
WISC検査では、次のような指標を数値化して結果を得ることができます。言語理解、知覚推理、ワーキングメモリー、処理速度、 全検査IQ(知能指数)
これらの指標得点を合わせた5つの合成得点から、子どもの知的発達の状態を多方面から把握することができます。
WISC検査は、子どもの発達について不安に思っている場合や、小学校入学前に知っておきたい場合などに受けることがあります。検査結果から、子どもの得意なことや不得意なことを把握し、その子に合った関わり方や伸ばすべきポイントを知ることができます。
WISC検査は、医療機関(児童精神科、小児科)、教育支援センター、民間施設(カウンセリングルーム、心理相談室など)などで受けることができます。検査費用や検査結果発行費用、保険適用されるかどうかも施設によって異なります。

WISCで全てを測れる訳でないが、目安として記録に残しておきたかった。これは長女が今後に必ず!絶対に!今後を生きるに必要だと私が判断したからだ。
何ができて、何ができないか。何が得意で、何が不得意か。を、客観的に数値で表す事は、義務教育~社会人に及ぶまで、対第三者に即座に簡易に理解をしていだだくためにも必要不可欠なテストだ。
長女は平均よりやや低めの検査結果であった。しかしまだ小学生校1年生である事からも、2年おきに検査をする事が好ましい。との事。
これは何故かと言うと、もし「発達障害」であった場合には年を重ねる毎に同年代との数値の差がより大きくなるからだ。

近年では大人になってからWISC検査をする人も増えていると聞く。しかし、このWISC検査には世の中の闇とも言えるデメリットが根強く存在する。

それは「発達障害」など認めない!!!
と、いった風潮だ。とくに戦後から昭和を生きてこられた方の中には特に理解し難い言葉と思う。何故ならその当時の「障害」の文字、言葉は恥ずかしい物だという時代風景、風潮が現代にも少なからず色濃く残っているからだ。
長女の父親方の祖父がまさにこの考えであり、「孫が発達障害な訳がない。」「子供らしい子供ではないか!」「孫の何が問題なのか?」と聞く耳すら持ってくれない。まるで私が度の過ぎた過保護と言わんばかりの対応である。

そろそろ私の心がどうやらキャパオーバーしてきた模様だ。
心が軋む音がギリギリ鳴る―。
心の器から漏れ溢れる水滴が零れ落ちる―。
涙が自然と溢れて前が見えない日々がひたすら続く。
あ、これアカンわ!情緒が大変な事になっとるわ!!なんて、持ち前の元気で辛うじて日々を乗り切る。

なんせ情緒が不安定になっている暇はない。
おっとりした性格の長女は、小学校1年生のクラスではやはり標的になりやすく特に活発な男の子とのトラブルが尽きない。
同じ男の子から、ブランコから突き落とされたり、押されて怪我をしたり、軽い暴言は日常茶飯事であった。
そんな中でも、やはり「泣く」しかできない長女の心と体を守るために毎日が必死だ。泣く長女にどうしたの?と聞いても言葉での説明があまりにも苦手な長女。
学校の先生との事実確認、そして住み分けをするのか通常クラスで過ごすのか、何度も怪我をさせる男の子と保護者との面談、その後のその他諸々の対応策、そして文書での記録。
この当時の長女は、はっきりと「発達障害」との診断はなく、所謂グレーゾーンであるとの見解だ。グレーゾーンであるが故に1番辛い時間を長女にはさせてしまっていた。
今から10年前との事もあり、現在よりはまだまだ「発達障害」についての知識が先生方も少なかったように思う。専門の先生方はもちろんおられて、グレーゾーンの子が今1番しんどい。と、理解や助言をいただき母子共に心のケアをしてくださっていた。
その当時からグレーゾーンのお子様の通常クラスと支援クラスの行き来をできる対応策は存在していた。
しかしあまりにもデリケートな問題である事からも、なかなか地域の保護者同士でも共有ができない傾向は否めないな…と感じる。現に私も孤立をしてしまっている1人だ。
しかし淋しい訳ではない。孤独ではなく、自らが選んだ孤立なのだと思う。


君は唯一無二の存在。君の替わりなんていない。





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頂戴した大切なお気持ちは発達障害で苦しむ子供様、その保護者様のへの活動向けて大切に活用させていていただきます。