「ある」けど「ない」
先日、木下さんのVoicyを聞いてて
「そーそーそー」と思わず声を出しそうになった話 ↓
「田舎あるある」で、私の近所の人たちも口を揃えて
「うち(の地域)には何もないよー」と言います。
東京から田舎に引っ越して、近所の人からこの言葉を聞くたびに
なんとも言えない違和感がありました。
「何もない??」
いや、あるよ、ある!めっちゃある!!
たしかにコンビニエンスな距離にコンビニやスーパーはないけど、
季節ごとに足元には梅やら栗やら銀杏がじゃんじゃん落ちてるし、
ちょっと頭を上げれば誰も収穫しない柿や柚子がわんさか実ってる!
そんな自然の恵みだけじゃなくて、近所の直売所をのぞけば
手作りのお漬物やお餅、はたまた「こんにゃく」まであったりするし!
初年度は「こんにゃくって一般家庭で手作りできるんだ、、、、」と
軽いカルチャーショックを受けました。
食べ物以外にも、犬がのびのび走れる川沿いのお散歩コースには
ホタルだけじゃなく、めっちゃ綺麗なカワセミいるし!
さらに言えば、食べ物や自然だけでなく、そこらへんを歩いてる
近所のおじさんやおばさんのポテンシャルがハンパない。
ご近所のお母さんたちが自宅で味噌を作るのは普通のことだし、
人によってはポン酢や柚子胡椒、アンチョビも自家製だったり。
蔓性植物を取ってきて花籠を編む人や芸術的な飾り寿司を作る人、
お正月のしめ縄飾りを作る人などなど、○○名人と呼べる人が
「私、普通の主婦ですけど?」みたいな顔してあちこちに生息してます。
女性だけでなく男性も負けてません。
自転車のタイヤがパンクして途方に暮れてたら、
工具箱を引っ張り出してきてササっと直してくれたり、
庭の木が大きくなりすぎて困ってたら、どこからともなく
高所作業車を調達してきて、パパッと剪定してくれたり、
「井戸掘りたいんですけど、業者さん知ってます?」と聞いたら
「あ、オレ、掘れるよ」みたいなこともありました。
(↑実際、数日後に井戸を掘ってくれた!神!!)
で、大木の剪定も井戸掘りも専門業者さんにお願いしたら、
何万もお支払いしないといけないような特殊技能なはずなのに
「オレ、中卒だから(こんなことしかできない)」みたいことを
平気で宣います。
いやいや、私からみたら、ほぼスーパーマンですから!!
そんな感じで、適度に便利すぎない田舎では、ごく自然に
「自分でできることは自分で!」のDIY精神が育まれるのか、
全体レベルとして「生きるための技術」や「個人の能力」が
驚くほど高いのです。石を投げれば、リアル百姓(※)に当たる!
※ここでいう「百姓」は侮蔑語でなく
「暮らしにまつわるあれこれを自力でいくつもこなしちゃう」
ゼネラルなスペシャリストのことを指してます。
田舎に問題があるとしたら、それは「何もない」のではなく、
自然も個人の才能や技術も当事者にとってはごく当たり前で、
ほとんどの人がそのことに無自覚なために、だれも目の前に
「あるもの」の価値を正しく理解も評価もしていないという
ことに尽きると思います。(そんなだから全く活用されない)
東京と田舎暮らしのどちらも経験した私にできることは、
よそ者ならではの客観的な視点で「田舎のすばらしさ」を
近所に人に伝え続けることなのだと心に誓う13年目の冬。
最後に、東京でも再開発による樹木の伐採が問題になっていますが、
空き家だらけで再開発どころじゃない田舎でも、お年寄りの人たちが
何十年も大切に育てた庭木や果樹を「周りに迷惑をかけないように」と
いう理由で整理する光景をここ数年よく目にするようになりました。
やわらかな木漏れ日をつくってくれる木は、大切な自然資本であり、
人間には決してつくることができません。「人偏」に「木」と書いて
「休む」、田舎でも「手入れが大変な困ったもの」として木が切られ、
ヒトや動植物の「休む場所」がどんどん失われていきます。
一度壊してしまったらこの先数年に渡って人類の技術では回復不可能な
自然や時間にしか育むことができない目の前にある大切なものの価値を
犬と散歩しながら今一度見直してみたいと思います。
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