オスタラサバト儀式のやり方と蜜猫的考察。
オスタラ。春分を祝う行事は、世界各地にあるだいじなお祭りだ。今回はこの季節行事を儀式化した魔女のオスタラのサバトについて、わたしが実際にやって感じたことや、気付いた点を深堀りしたいと思う。
始めに断言するが、自然信仰(ネイチャーリスト、自然派主義)だと言うならば、オスタラサバトはやった方が良い。理由は次の通り。
1)オスタラは種蒔き
春は種蒔き、秋は収穫という自然のサイクルがある。人間も生きていく上で環境に適応するわけだから、この季節サイクルの影響を少なからず受けている。逆に言えば、この流れに乗った方が無理なくスムーズだ。
種蒔きというのは、新たに何かを始めるとか、秋の収穫(成果)に向けてビジョンを現実化させるなどの意味だ。
2)春分は魔術的にも特別な祭り
昼と夜の時間が等しい日(春分と秋分)は、魔術的にも不思議な力がある日とされた。もちろん夏至や冬至も特別な日だが、黄金の夜明け団(GD)では春分と秋分の儀式の方が有名で、多く儀式を行っていたようだ。
また、西洋占星術でも春分は1年の始まりであるし、1年の予測をするのは春分図である。つまり春分には1年の展望が反映されると言っても過言ではない。
このように、サバトの中でも重要なのがオスタラ!
オスタラサバトをやってみた
わたしが何年もサバトをやってきた中で、やはり各サバトの香りというのは重要に感じる。なんと言ってもオスタラの香りは特徴的だ。濃厚な花の香りが儀式場を満たす。この香りはただ甘いだけではなく、少しの苦い・渋い香りがする。まだ芽吹きたての若さを思わせる香りが、オスタラの春の訪れを感じさせ、そのため視覚化がスムーズに行えるのだ。
オスタラの本儀式の所作について様々なものを試したが、結局鉢植えなどの植物と一緒に儀式をすることで落ち着いた。鉢植えでなくとも、サボテンや多肉や観葉植物でも良いだろうが、その幼い株を自分自身に重ね合わせ、1年間自分と一緒に成長するような視覚化ができるのが良い。春は植物が流通する時期でもあるし、容易に入手できるのではないか。
さらに言えば、祭壇がとても華やかだ。わたしの場合はキャンドルやオイルバーナーなどもピンク、ラベンダー、アイボリーなどのパステルカラーになる。とにかく可愛い。春めいた天気の良い日に、オスタラサバト用の生花を求めて花屋に行くのもまた毎年恒例となっている。今年も花屋に行かなきゃな~と思う所からわたしの脳はオスタラの儀式をしているようだ。
オスタラその後…
わたしの場合、儀式後は疲れ切って即寝るというパターンが多い(かなり体力を消耗する)。そして翌朝から「なんか空気違うな」という感じがする。これはオスタラに限ったことではないが、オスタラ後は特に、「何か変わった」感じがするのだ。
そもそもオスタラの本儀式で「新たに始めること」を視覚化したので、それに向かって行けば良いという、道筋が見えた感があるのかもしれない。
折しも季節は冬が終わって本格的に暖かくなる。わたしの身体も「冬眠から目覚める」。春になると、冬の空気よりも生暖かく感じることがある。それと同じで冷えた身体の中に「スッキリとした春風が通り抜ける」。
春は香りも変わってくる。冬の香りはスンとして刺さるようだが、春の香りは「植物の芽吹いた若い香りがする」。この空気を吸ってみる。(花粉症の人はごめんね)
どんな動物でも春が来ればウキウキする。動き出したくなる。旅へ行きたくなる人もいるだろう。わたしもその衝動に任せて行動したくなるし、実際それに抗ったりはしない。でも衝動だけでは危険だとも思う。なぜなら、目的地が決まっていないと迷子になる。サバトは、迷子にならないためにも良い方法だ。むろん目的地は自分で「視覚化して設定する」のが魔術だ。
また、祭壇に捧げた花でウィッチクラフトもできる。ラブ系の調合はオスタラにやることが多い。ベルテーンでもリーザでも作れるが、サバト時に祭壇に捧げた生花が枯れる前にドライにして、お香やオイル、サシェを作ってしまうのだ。サバトの供物で作ったそれらは(特に儀式をした本人が使用するのは)かなり効果があると感じている。
オスタラサバトの背景
人々が春分を祝うことは自然信仰(土着信仰)の観念が根底にあるが、時代の経過とともにそれらは各宗教に習合されていった。例えばイースター(復活祭)がそれにあたる。だからオスタラを説明する時、現代人にとっては「ああ卵とか兎とか、カラフルなお祭りね!」と言った方が伝わりやすい。(笑)しかしきちんと説明しておこう。
その祭りは、太陽が照る昼の時間が徐々に長くなり、花々が芽吹く季節に神秘性を見出した、昔の人々の呪術的な思想や信仰に遡る。
むろん科学は発達していない時代だ。天文学(占星学)が発達していたので、人々は暦を理解できた。そのため季節には周期性があり、農耕を覚えることができた。しかし自然災害などあっては作物が育たず飢えに苦しむことになる。
そこで人々は呪術的に祭りを行うことで、自然の神に対して穏便に計らってもらおうとした。捧げものを施すのはこのためであり、例えば収穫の最初と最後に採れたものを捧げるなど、厳しい決まりがあった程、自然神(霊)への畏怖があった。
逆に言えば誰でもできるし、サバトの祝いは基本的に「季節をお祝いし自然に感謝する」気持ちに準ずるわけで、それさえあれば、決まったやり方は存在しない。
ここでは、あくまでも黒猫魔術店のやり方を記載する。しかも毎年良かったことなどをアップデートしているので、前回とやり方が違う!となっている場合もある。この記事は最新版であることをご了承頂きたい。
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