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女神と会話して手仕事をするだけのことが実はとても尊い

前回、スピリチュアル業界の闇についてこんな記事を書いた。

https://note.com/kuromajutsu/n/n9909c53d9ff4

今更始まったことではないが、コロナ禍で不安が増長され、人々は目に見えないものを盲信したり、希望を抱いてやまない。
それはしかたがないことだとは思う。
不安な時に何かに縋りたい、そう思うのは普通の反応だ。

しかしこの情報化社会で、きちんとした、真っ当な情報というのを見つけるのは難しいだろう。
ビジネスに関わることは必ず裏で操作されているから、どんなに嘘の情報だとしても面白ければ伝播される。

真実はいつもひとつ、なんて言うけれど、真実はいつも内側に、闇の中にあるとわたしは思っているよ。

自分が何を信じるのかを考えて欲しい。
風の時代がどうとかはナンセンスで、ひとりひとりの心の問題に、フォーカスされる。


さて、ではわたしはどうなのかというと。

正直この業界もうきらいだな、と思っている。

占いや魔女が流行っているのか、商売の宣伝なのかわからないけど、賛同できない部分が日に日に増していく。

基本的に考え方は各々の自由で結構だし、浅い占いや魔女もいてもいいし、深くてガチな占いや魔女がいてもいい。
その論議をするのももう疲れている。


最終的に辿り着いたのは、そもそも魔女は自分の女神と対話するものだから、今はひとりで魔女してればええやんということだった。
世間では流行ってるらしきスピリチュアルから抜け出して、ひとりで女神信仰をするただの魔女になった。


これが気持ちよかった。


結局、誰も傷つけないとはこういうことだし、自分が信じるものに心から感謝できる。


集団の中にいる時に守らなければならないと思えていたあれはなんだったのか。

がんばらなければいけないと、鞭打つ存在はなんだったのか。

人が死んでいく悲しみややるせなさを、感じさせるものはなんだったのか。


うわべだけで感謝やありがたい教えを述べることはいくらでもできる。
けれどわたしは、それを心の底から語る人はどれほどいるのだろうかと思う。

語らなくても、自分が理解しただ実行すればそれで良いのではないか。

ということを考えていて、特にTwitterで魔術の話をするのをやめてしまった。
魔女の教えは生活に根付くものなのに、なぜか信仰のことや、クラフトのことは置き去りにされ、占いや儀式だけが先行しているように思う。

例えば毎日料理や洗濯をするように、あたりまえに魔女の知恵を使っていくことから始まる。
占いはその知恵を覚えるのを助けるというだけだ。


そういうわけで、あたりまえにやっていたウィッチクラフトの話を多く取り入れている。
わたしが料理したり、何か作ったりするのが、ただの趣味だと思っていた人も多いようだった。
これで稼ぐ気はないので趣味と言われればそうなのだが、魔女が作るものはとてつもなく深い意味が込められているものが多い。

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西に植えて育てた自家製レモンを使った蜂蜜パンとか。
三つ編み模様にした緑色のコインケースとか。
櫛にローズマリーオイルを塗って髪を梳かし、5月までは切らずに伸ばしておくとか。

いちいち意識してないので、うちの風習みたいになっているこれらのこと。
だからどうなるということではない。

でもこういう家に育ったら、目に見えないものに対しての感謝が自然に備わったように思う。
だから生活はとてもだいじなのだ。

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ひとりで信仰をするということに対して懐疑的な人もいるとは思うが、女神を自分の中に降ろすということは、わたしにとって食べ物から空気に至るまで大事に思ってしまうよ。

それはもしかするとわたしが、子供を産んだことがあるからかもしれないけれど、あの感覚に似ているのかもしれない。女神の子供の命を、わたしが戴くわけだから、自分の分身のようなものが自分の中にいる、あの感じ。

出産を経験しない人でも、もちろん感じることができると思われる、あの不思議な感じ。

生命の誕生のようないわゆる神秘に、ミクロコスモスが反応する。
これを毎日感じている。朝夕の祈りにて。

わたしは今のところ、取り急ぎ今年は、このスタイルでいいと思っている。
自分自身との対話が、今は大切なのだから。

サポートして頂けたら、魔術研究の支援に使わせて頂きます。皆様により良い情報とデータを開示することで生き生きとした魔女活・魔術ライフになるよう願っています。