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ジェンダーの消えた世界で。
フェミニズムは気持ち悪い、と昔から思っていた。
同じようにマスキュリズム(男性に対する性差別撤廃を目指す考え方)も気持ち悪いと思っている。
最近特にフェミニズムを意識することが多くなった。
書籍を見ても「世界を変えた100人の〜」というものを近年多く見かける。大体そう言う書籍は「女」に限定された偉人たちが選ばれている。
このような書籍の登場は、女性の地位向上やマイノリティーな属性を持つ人々の存在に、注目が集まっている世相を反映しているのだろう。
だが、わたしは思うのだ。
男が優位な社会だからと言って、女性の地位向上を叫び続けるだけでは、いずれ逆転現象がおこるだけではいのかと。
男尊女卑が女尊男卑に入れ替わるだけではないのか、と。
無論、こんな議論は今までにし尽くされていることは知っている。だが、それでもわたしにはフェミニズムのような考え方に違和感がある。
わたしは女だからと言って丁重に扱われることを望んだことなどない。だからといって女だからと軽んじられる覚えもない。
わたしはただ、フラットでいたい。
わたしの望む社会とは、ジェンダーの失われた社会なのだ。
皆が男であるか、女であるか、その中間であるかまた、それ以外であるかを全く意識することなく振る舞う世界。
ただ、肉体的性差のみが存在する世界。
そう言う世界でなら、わたしは心地よくいられるのだろう。
おそらくはフェミニズムやマスキュリズムもそのような世界を目指してーーー「男女平等」目指して生まれた思想なのだろう。
きっとこの文章を、フェミニストなどが読めば
今はまだ男女が不平等だからそのように感じる。平等になるためには、まず女性の地位向上を目指す必要がある。
と言うかもしれない。
だが、それで本当に「ジェンダーの喪失」に到達できるのだろうか。
わたしはそれを考えるたび、胸の悪い予感がするのだ。このままでは理想に遠く及ばぬ、別のものが出来上がってしまうのではないか。意趣返しのような新たな差別が生み出されるだけではないのか。
フェミニストやマスキュリニストは、平等になったその先をどう考えるのだろう。
わたしの理想と彼らの理想は全くの別物なのだろうか。
わたしは「ジェンダーの消えた世界」に到達するための術を知らない。
もしもそれを知る人がいるなら、それは世界を変える人なのだ。
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