悟りの境地

ユれるわたしのアイデンティティ8

相変わらず春眠は暁を覚えないし、わたしのアイデンティティもユれ続けている。

しかし最近、ちょっとした進展があった。
自分の性別について考える時間が極端に減ったのだ。これが進展かどうかはわからないけれど、自分の中で思考が進んできた証だと解釈している。

というのも、わたしのアイデンティティがだんだんと見えてきたような気がするのだ。
たぶんわたしは、男性でも女性でもないし、同時に男性でも女性でもあるのだと思う。

というか、世の中のひと全員がそうなんだろうと思ってる。性別なんてものに、本当は生物学的なオス/メス以上の意味なんてなくて、ただ(広い意味で)政治的に利用された固定観念に縛られてんだなぁと悟ったのである。

もちろん、わたしはそれを証明する方法を知らないし、まわりの人に実はこうなんだよ、と教えて歩く体力もない。わたしの頭の中にあることをちゃんと言葉にできない不甲斐なさを、ただ嘆くだけである。

結局こんな表現になってしまうのだが、わたしはただわたしの思う通りに振る舞って、褒められもセズ、苦にもされズ、そういふものにわたしはなりたひ。
いい表現が見つかったら、また書きにこようと思う。
ま、来月になったら違うことを言ってるかもしれないし。

わたしのアイデンティティは今日もユれている。

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