書くことについての反省、新人賞応募の言い訳、自己嫌悪と虚無感、etc...
いつにも増して、自分で読み返して恥ずかしいと思う文章になりました。
公開した以上、読むのは自由ですが、共感性羞恥に襲われても当方は一切の責任を負いかねます。
自分の書いた小説を、Wordの音読機能でよく聴きかえしている。
読み手の視点に徹するために、いったん活字から離れて音声だけで文章を追っていくと、書いているときには気付かなかった落ち度が、次々とあらわになってくる。
言葉選びや文法の拙なさは、書いている時点である程度自覚しているのだが、それでもあらためて聴きなおすと、言葉を失うほど酷いことに気がつく。
まあでも、それは予測できた欠点なので、落ち込んだとしても次第に回復する。
深刻に落ち込むのは、物語全体がぜんぜん面白くないと感じたときだ。
文章をうまく脳内補完しながら物語を追っていったとき、最終的に「で?」と感じてしまうことがある。
面白みに欠ける印象を受けることがなにより辛い。
部分部分は光る箇所があると自分を励ましながらも、全体を通して見ると全然魅力的に見えなくなってしまうのだ。
書いている最中は、とんでもなく面白いものを書いている気で書く。
書きながら展開を考えることもあるし、前もって頭に思い描いていたイメージを書きつらねていくこともある。
どちらにしても、その時の脳内は快楽物質と伝達物質で溢れているのだろう、文字を打つ手が止まらなくなる。
止まるとすれば、言葉が出てこなかったり、表現が思いつかなかったり、単純に技術的な力量不足による場合が多い。
タイプミスも頻発する。タイプの練習なんてろくにしていないので、ブラインドタッチもできないし、キーボードを目に入れながらでも些細なミスは常に起こりながら書く。
そういうのは案外、致命的になることが多い。私は記憶力がとんでもなく悪いので、ミスを訂正してバックスペースのあと正しく打ち込んで変換、をしているあいだに、思い浮かべていたものを忘れてしまうことが多々ある。
はじめのうちは、それがストレスで書くのをやめたり休憩することも多かったが、最近というか、新人賞のために長編を書いているとそんなものに構っている余裕もなくなるせいで、気にしないようにはなった。
忘れたものを思い出すこともたまにあるが、大抵脳の中のネットワークはもう反応してくれない。
このように、ひらめきを常にこぼれ落としながら書くしかない現実を受け入れて、あとは出来上がったものを修正していくことを前提にして書き進めている。
全ての作業を含めて、筆力という言葉で言い表せるのかもしれないが、私の筆力は到底、文章を糧にしていけるようなレベルからは遥か遠いレベルにあることは明白だ。
もう少し具体的な自分の「書くこと」の問題点をメモ代わりに書いておきたい。
そのうえで、なるべく上に書いたこととは別の問題点を挙げたい。読み手に徹した時の、全体の問題点についてと言えるかもしれない。
まず一つ、気持ちよくすらすら書いていると、やけに言葉を繋げたがる癖がある。
その結果、ひとことで言うと繋がりが悪いのだ。
私は自分が読みやすいと思う文章を心がけて書くように念頭に置いているつもりである。
今書いた、この一文を取ってみても、なんとなく装飾過多ですんなり頭に入りづらいと思う。
私は自分が読みやすいと思う文章を書くように心がけている。
これでいいはずである。
これはいま、書きながら、うまいこと自分の悪い癖が出たのでそのまま使ってみたのだが、大抵は始めの文のように、付け足さなくてもいい言葉で文を長くして、さらにはそのせいで文法的にも破滅的になることが多い。
今は即座に気がついたが、長い文章を書いているときにはそれがなかなか難しい。
そしてもっと長い文章の中にまぎれこんでしまうと、直感的に間違いに気づくのはさらに難しくなってしまう。
しかし悔しいのは、自分で気がつく頭がないわけではない、ところでもある。
二つめは、長く叙述しようとすると説明的でわかりづらく、さらに単調な文章になりやすい点。
これも記憶力の弱さからくるものかもしれないが、前後の文章の繋がりが皆無な場合が往々にしてある。
~○○だ。 【改行】 だから、○○なのだが~
というような場合に、前後の文脈がぜんぜん合ってないこともしばしばある。多くの場合、そんな事態になってしまうのは、気に入って保存していた文をコピペした際だ。だから、これは単純にコピペをやめるべきである。もしコピペするのなら、何度も丁寧に直すべきだろう。
単調さのことでいうと、自分の中で下書きだと割り切りつつ、半分メモのような文章を書くことがある。とっさに思いついた展開を書き記しておきたい場面に多い。あとから直すことを前提に書いてはいるものの、そんなときに書く文章が過去形まみれになることがよくある。
○○だった。○○した。○○と言った。○○だった。
こんなふうになってしまうと、直すのも結構うんざりする。
これは割と、自分の筆力の根幹の問題かもしれないと思う。
とりあえずこれで最後にするが、三つめは全体的に文章が多いところだ。
これまでは主に部分的な問題を挙げてきたが、そういうところに目をつむって読んでみると、最終的には冗長でスッキリとしないことが非常に多い。
きっと文章の半分くらい削ってしまった方がマシな小説になるかもしれないな、とすら思う。
でも、書き手としての自分は、詰め込みたいことがまだまだあって、短くするなんてとんでもないのである。
ところが読み手にまわると、絶対に削った方がいいものになると直感的に感じる。でも、自分では、書き足したいことはいくらでもあるが、削ってもいいと思える場面なんて基本的にないのだ。
これは、きっと構成の面で一番の重要な点に違いない。
自分が真っ当な長編小説を形にするためには、この「削る力」がもっとも必要にされるだろうと、今では考えている。
きっと、あきらめる潔さが重要になるのかもしれない。
それだけでは物足りないに違いないのだが、まずはそれを乗り越えない限り、どうにもこうにも次のレベルになんて登れるはずがないだろうと考えている。
あと一つだけ。
上に挙げた自分の欠点も、あるいは長所も、発達障害ないしADHD的な問題として捉えることもできる。
そこにどれほどの意味があるのかはわからない。
散々挙げた記憶力の問題は、つまるところワーキングメモリーの問題にできるだろう。
うまく執筆作業を始める事ができた際の、冷静さを欠く様々な行動は、元々の腰の重さからくる、基本的な思考ルーチンの形成に影響しているかもしれない。
そして、過集中と呼ばれる度を越した、麻薬のような気分の高揚。
結局は、書く目的なんて、その高揚感を得たいが為に過ぎないのではないかと思ってしまう。
それは些細なようで、実は深刻な問題なのかもしれない。なにせ大義が失われかねないのだから。こんなこといちいち書かないで黙っていればいいに違いないのだが、知っていてなぜかそれができないのである。
ほんと馬鹿ですね。あー馬鹿だ馬鹿だ。馬と鹿が大迷惑だ。
というわけで、いつも通り要点がとっ散らかってきました。
要はこの文章はきっと、言い訳なのだと思う。
新人賞に、不完全で未熟なものを送ってしまったことへの後悔。
でも、もっとよくできるはずに違いないという諦めきれない気持ち。
欠点は見えているのだという、自己顕示欲からくる謎の自信。
こんな恥ずかしいものを書くのは決して自ら望むものではないが、それによってとりあえずこのモヤモヤしたなにかが小さくなってくれるなら、書かずにはいられないのである。
あくまで、最終的な目的は、まともな形の小説を書くことだ。
そのためなら、多少の恥をかくことも厭わない、なんて思えてくるから怖ろしい。
でもやはり、こう思う。こんな、ど素人のメモが、なんになるのだろう。
チラシの裏にでも書いておくべき内容なのは、誰の目にも間違いないのである。
ここまで書きながら、唐突に大きな虚無感に襲われて書くのをやめそうになる瞬間が何度かあった。いっそそうした方が正しいことは承知の上である。
そうして貯まったnoteの下書きが山のようにある。
普段ならまた下書きにまわる類の文章なのだが、形だけでも書ききることで得られることもあるかもしれないと、ポジティブな面だけを見て書いた。
書き出しが普段と違う口調になったら、そのままの口調で書いてしまいました。
偉そうになるのが嫌で「ですます調」にしていますが、こっちの方が読みやすいかもしれないですね。
自分でも好きになれない種類の内容を書いてしまいました。
なので、きっといつか消すなり非公開になる運命の文章です。
そして、こんなものを書くにあたっても、幾度も推敲作業をしてようやく公開していることは言うまでもありません。
向いていないのは、百も承知なのです。