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フォスター・チルドレン 29
第3章 誰を救おうとしているんだろう?(4)
1(承前)
染みひとつない病室の真っ白なドアを開けるときは、少なからず緊張した。脳裏に半年前――母さんの危篤を聞かされ、病院へやってきたときの記憶が鮮明によみがえる。
だが半年前とは違い、ベッドの上の親父は僕のほうに顔を向けて微笑んだ。想像していたよりも、ずっと元気そうだ。たくさんの管が身体中に繋がっているのではないかと思っていたが、そのようなものはなにもなく、ただ両腕と右脚に包帯を巻き、額に大きな絆創膏を貼っているだけだった。
「史郎……来てくれたのか」
親父の声はかすれていた。その声を聞いた途端、僕は泣きそうになった。親父に対する気持ちが昨日今日で、どうしてここまで変わってしまったのだろう? 僕は親父と顔を会わせるたびに、戸惑ってばかりいる。
「看護婦さん。退院はいつできるんでしょうか?」
「まだ当分は無理ですよ。今は怪我を治すことを第一に考えてくださいね」
「でも、私は右脚の骨を折っただけですから……ほら、車椅子を使えばどこへでも行けますよ」
「父さんは仕事に追われた生活をしているわけじゃないんだから。別に忙しくなんかないだろう。ゆっくり休んでろよ」
僕はベッドの横に腰を下ろした。
「でもなあ……」
親父は不満そうな表情を浮かべた。
「じゃ、せめて携帯電話を持ってきてくれるか? 車の中に入っているはずだから」
「でも父さん――」
「大丈夫。ボタンを押すことぐらい、工夫すればできるさ。顎に短い鉛筆でも貼りつけて押せばいいんだし」
僕はぎょっと目をむいて親父の顔を見た。
「父さん、指のこと――」
そこで僕は自分の口を塞いだ。
「自分の身体のことは、自分が一番よくわかってるって。これでも昔は医者を目指していたぐらいなんだからな」
親父が笑顔を見せる。無理矢理作っている笑みには見えなかった。
この人はなんて強いんだろう。
僕はあらためて目の前の男性に尊敬の念を抱いた。
「看護婦さん。携帯電話くらいいいですよね?」
親父の懇願の視線が、僕の隣の看護婦に注がれた。
「駄目です。ロビー以外での携帯電話の使用は禁止してるんですよ。医療に用いる機械はどれもデリケートなんですから」
「必ずロビーで使います。ロビー以外では電源を切りますから。ね、それならいいでしょう?」
「仕方がないですね。でもお身体に差し障るようならとりあげますよ」
看護婦は肩をすくめて答えた。
その後、警察官の質問が続いた。質問はとりとめもないことばかりだった。深夜、どこへ向かっていたのかという質問に親父は、
「事務所を出たあと突然眠くなったので、しばらくの間仮眠して……〇時半頃目を覚まし、それからなんとなく海を見たくなったのでドライブに向かった」
と答えた。
「深夜〇時過ぎに一人で海へですか?」
案の定、警察官は疑わしい視線を親父に向けた。だが親父はまったく動じた様子もなく、
「ええ、疲れたときはよく夜の海を見に行くんです」
とすました顔でいった。嘘をついているようにも見えなかったが、頭から信じられる話でもなかった。
「その途中で居眠り運転をされたということですか?」
「はい。うっかり赤信号を見落としてしまって……」
居眠り運転でうっかり赤信号を見落として――その部分だけは、やはりどうしても納得できなかった。たとえ睡眠薬を飲んでいたとはいえ、親父には考えられない行為だ。それともそのくらいボランティアの仕事が大変だったのだろうか? あるいは親父も歳をとったということなのか?
僕はじっと親父の瞳を見つめたが、彼の心の中までは読み取ることができなかった。
つづく