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フォスター・チルドレン 26

第3章 誰を救おうとしているんだろう?(1)

 ものすごい事故だったらしい。警察の人からぺしゃんこになった車の写真を見せられたときは、あまりにも生々しいその光景に全身から血の気が引いた。
 車体の前半分が路肩の電柱にめりこんでいた。昨日の午後、目にしたばかりの親父の愛車はまったく原型をとどめておらず、元の姿を知っているだけになおのこと痛々しい。よくこれで命を落とさなかったものだと、ただただ胸を撫で下ろすばかりだった。
 事故現場はE**岬近くの広い交差点。二十四時間営業のコンビニエンスストアとガソリンスタンドが角に立っているため、事故の目撃者は何人もいたそうだ。赤信号を無視して交差点に侵入した親父の車に、東方向から走ってきたトラックがぶつかったという。
 まだ麻酔が効いているらしく、親父は眠ったままだった。命に別状はなく、担当の医師は「奇跡的に」という言葉をしつこいぐらいに繰り返した。
「ただ両腕とも、肘のところで神経を切断していましてね。指先に障害が出る可能性が大きいです」
 医師は難しい顔つきで答えた。
「リハビリ次第では日常生活に支障がないまでに回復するかもしれませんが……最悪の場合、指がまったく動かないという事態になることも考えられます」
 気づかぬうちに自分の指先をじっと見つめていた。障害――その言葉が激しく僕の心を揺さぶる。
 僕はただ医師の説明に頷くことしかできなかった。なにか喋れば、心の動揺を見透かされそうで恐ろしかった。
 親父は居眠り運転をしていて事故に遭った。
 親父のことをよく知っている人なら、それはおかしいと感じるだろう。親父は車の運転に関しては、神経質すぎるくらいに慎重な人だった。もし眠くなったのなら、その場で車を停めて仮眠を取ったはずだ。うっかり居眠りをするなんてことがあるはずもない。
 そう――親父がそういう性格だということを知っていたからこそ、僕はドリンクボトルに睡眠薬を仕掛けたのだ。もし帰宅途中で眠くなったとしたら、親父は間違いなく車を停めて仮眠を取る。帰宅時間が遅くなれば、親父がテレビを見ることもない。そう思ったから僕は――。
 薬が思った以上に効きすぎたのだろうか? 不意に眠気が襲い、親父は車を停める余裕もないまま、意識の混濁した状態に陥ったのか?
 僕が……僕があんなことをしたから。
 僕のせいで親父は……。
 医師の説明を聞き終わり、ふらふらとロビーに出たところで、白髪頭の品のよさそうな初老の女性に「樋野さん?」と呼び止められた。
 そちらに顔を向けると、彼女は腰を折り、丁寧に挨拶を寄越した。
「私、『心のオアシス』の会長を務めております山添と申します」
 そのややハスキーな低音は、僕の部屋の留守番電話に入っていた声と同じものだった。
「あ……父がいつもお世話になっています」
 四年間のサラリーマン生活で身につけた反射的な社交辞令の挨拶を返す。
「このたびはとんだことで……」
 彼女はハンカチで汗を拭いながら、頭を横に振った。
「連絡していただきありがとうございました。あなたのところへ警察から連絡が入ったのですか?」
「ええ。樋野さん、免許証と一緒に、うちの会の会員証を持っていたそうで。まず、私のところへ連絡が来て……それで樋野さんに息子さんがいらっしゃることを思い出し、連絡を差し上げたんです」
「よく電話番号がわかりましたね」
「それはもちろん。樋野さんの机の上にはアドレス帳が置いてありますから……あなたの名前はアドレス帳のトップに記されていましたし」
 当然でしょうといった表情で、彼女――山添さんは答えた。だが僕には意外だった。家を飛び出して以降、親父から電話をもらったことなど一度もなかったのに。

つづく

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