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海が見たくなる季節 6

 4(承前)

 海だ……。
 山に囲まれた僕らの町では、そう簡単に海を見ることはできない。実をいうと、海を見るのは生まれて初めてだった。僕が嫌々ながらも旅行についてきた理由はそこにあった。
 僕はずっと海に憧れていた。
 これが海か。
 目頭が熱くなった。涙がこぼれ落ちそうになる。自分でも驚いた。なぜ涙が?
 ……オウチ二カエリタイヨォ……
 涙を拭っていると、例の声が僕の耳もとで聞こえた。その声の調子は、いつもと少し違っている。声は明らかにはしゃいでいた。
 ……ハヤク……ハヤク……
 長い間ずっと待ち続けてきたものがあともう少しで手に入る――そのことを喜んでいるような声だった。

 旅館へ着いたのは夕方だった。
 旅館は海の目の前にあった。強い潮の香りが僕の鼻を何度もくすぐってくる。
「ああ。疲れた、装れた」
 部屋へ案内されるとすぐに、大竹は大の字になって畳の上に寝転がった。
「俺、用を足してくるわ」
「俺も」
 小菅と平林はそう言って、足早に部屋を出ていく。
 僕は窓の外へ目をやった。眼下に赤い海が広がっている。海を照らす夕日を見て思わず微笑んだ。海が僕を呼んでいるような気がした。
「おいおい! 隣の部屋の女の子、すごくかわいいぞ!」
 部屋へ戻ってきた小菅が息を弾ませながら言う。
「本当か?」
 大竹が体を起こして尋ねた。
「ああ。年も俺達と同じぐらいじゃないかな?」
 平林がにやにやと笑いながら答える。
「もう一度、見にいこうぜ」
 大竹はヘアスタイルを整えると、部屋の外へ飛び出していっ「た。
「おい、待てよ」
 大竹の後を追って、小菅と平林も姿を消す。
 部屋の中は僕一人だけになった。このほうが気楽だ。海に視線を戻す。飽きることなく、いつまでも海を眺め続けた。
「……そんなに海が好き?」
 え?
 声のしたほうを振り返る。
 いつの間に部屋の中へ入ってきたのか、そこには一人の少女が立っていた。

                           つづく

※読みやすくするため、原文に多少の修正を加えております。

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