見出し画像

ノセトラダムスの大予言09

 3(承前)

 長い抱擁のあと、能勢とユリは二言三言なにやら囁き合い、そして腕を絡めながらビニールハウスを出ていった。ユリは普段の彼女なら絶対に見せないうっとりとした表情で、能勢の肩に自分の頭を乗せている。
「おい、どういうことだよ?」
 ふたりの姿が完全に消えたことを確認して、まず口を開いたのは亮介だった。
「あのふたり、キ、キスしてたぞ。こんな夜中にふたりっきりで……い、一体、どういうことなんだよ?」
 興奮しながら、晶彦に詰め寄る。
「そんなこと知るもんか。こっちが訊きたいくらいだよ」
 まぶたの裏では能勢とユリのキスシーンがいつまでもちらつき、なかなか消え去ってはくれなかった。
「どうしよう? この写真」
 カメラからフィルムを取り出し、治樹が不安げに呟いた。
「どうしようって……なんでおまえ、あんな大胆なことができたんだ? いつもはなにをやってもびくびくしてるくせに」
 亮介が口をとがらせていうと、治樹は眉間にしわをよせて困ったような顔を見せた。
「自分でもわからないよ。撮らなきゃいけないと思ったんだ。自然に身体が動いてたんだよ」
 あのとき、なぜ治樹がシャッターを切ったのか? その答えも今ならわかる、と晶彦は思った。
「三年前に、それまで務めていた出版社を辞めた。今はフリーのカメラマンをやってるんだ」
 小学校へと続く田舎道を歩きながら、治樹は答えた。
「稼ぎはサラリーマン時代の半分以下になっちゃったから、月末には食べるものにも困る始末だけどね。まさに綱渡りのような毎日さ。これじゃあ当分、結婚はできそうにないや」
「でも羨ましいよ。子供の頃からの夢がかなったわけだからな。治樹はカメラマンとしての天性の勘を、子供の頃から持っていたもの。だからあのときだって、思わずシャッターを切ったんだろう? シャッターチャンスを逃してはならない、と子供ながらにプロ意識が働いたんだ」
 事実、そのとき撮影した写真は衝撃的な瞬間を見事に撮り込んだ――本当にすばらしい出来映えだった。
「やめてくれよ。僕はデバカメ写真を専門に撮ってるわけじゃないんだから」
 治樹は笑いながら、てっぺんのあたりが薄くなり始めた頭をぽりぽりと掻いた。
「あれから二十年か……。気が遠くなるほど未来のような気がしていたけれども、いざそのときが来てみると、あっという間だったよな」
「ああ……本当にそうだね」
 ふたりはまるで申し合わせでもしたかのように、クヌギの木がそびえたつ方角を同時に見上げた。
「二十年抱えてきた謎がようやく解けるんだな……」
「うん……」
「一体、誰がフィルムを盗み、あの写真を掲示板へ張り出したのか――」
 ビニールハウスの中で衝撃的な光景を目撃した翌日、治樹は現像したフィルムを持って登校してきた。
「プリントはしなかったよ。うっかり誰かに見られでもしたら大変だからね」
 休み時間、晶彦らは再びひと気のない校舎裏へと集まり、太陽の光に透かして、問題の写真を確認し合った。ネガなので詳細はわかりづらかったが、そこには間違いなく能勢とユリが口づけし合う瞬間が刻まれていた。

               つづく

いいなと思ったら応援しよう!