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黒田研二から見た東野圭吾と東野圭吾から見た黒田研二
名探偵天下一大五郎シリーズ唯一の番外編でもある「本格推理関連グッズ鑑定ショー」(『毒笑小説』収録)には、僕と同姓同名の司会者が登場する。
『毒笑小説』(集英社文庫)
当時、ファンクラブの会長を務めていた僕に、思いがけず東野さんが用意してくださった贈り物だ。何度も何度も読み返し、にやついていたあの頃が懐かしい。
東野作品との出会いは、高校時代にさかのぼる。
小説なんてほとんど目を通したことがなく、漫画や映画ばかりに夢中だった僕が、たまたま手に取った『放課後』だけは、なぜかむさぼるように読んでしまった。
ミステリ小説にはまり、自分でもこのようなものが書けたらと切望するにいたったのも、思い返せばこの一冊がきっかけだ。
わけのわからぬ修飾語や難解な言い回しをいっさい省いた簡潔な文体は、「小説なんて堅苦しい!」と思い込んでいたオバカな僕を、一気に開眼させた。
また、真意をズバリと突く台詞の数々は、それまで漫画や映画では味わうことがなかった新鮮な感動を与えてくれた。
読みやすいにもかかわらず、軽薄な方向に流されるところがなく、読後感はずしりと重い。
東野作品の最大の魅力は、そんなところにあるのだろう。
簡潔かつ重厚な性質は、作品だけではなく、その人柄にもあらわれている。
新人賞に応募した僕の作品が最終選考で落選したとき、東野さんはその選評を読んで、どうすれば受賞できるか、プロの厳しい視点から率直な意見をくださった。
その後の励みとなったことは、いうまでもない。
長年の夢がかなって作家の端くれとなり、親しくおつきあいするようになってからは、ますますその印象が強まった。
一時の感情に流されないクールな視点で、的確に本質を見抜いていく。
考えてみると、東野作品に登場する魅力的なキャラクターには、そのような傾向の人物が多いような気もする。
僕はスキー、東野さんはスノーボードと、おたがいにウィンタースポーツにはまり込んでいるため、昨年の冬は何度か一緒に雪山へ出かけた。
数ヵ月後、そのときの出来事がエッセイになっていると知った僕は、早速掲載誌を購入し、わくわくしながらページをめくった。
楽しかったスキー場での思い出が、事細かに記されている。
ああ、東野さんの作品に僕の名前が登場するのは、七年前の短編小説以来だなあと、感激に打ち震えながら読み進んでいくと、こんな一文にぶち当たった。
「こいつ、脳ミソが腐ってるんじゃないか、と私は思った。そして一時にせよ、こんなアホが自分のファンクラブの会長だったかと思うと情けなくなった(原文のまま)」
簡潔な言葉で真意をズバリと言い当てる東野さんに、僕はますます惚れ込んでしまったかもしれない。
<ダ・ヴィンチ>2004年3月号 掲載
上記のエッセイが収録された『ちゃれんじ?』(角川文庫)
僕と東野さんの2ショット写真や、僕に関するもっとひどいエピソードも載っています💦