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フォスター・チルドレン 05

第1章 間違いなく逃げ出したんだと思う(3)

1(承前)

 アツシはテーブルの上のマッチを取り、煙草に火をつけた。マッチには店の名前が刻まれている。「ミルキーロード」――喫茶店などに置かれているマッチとは異なり、店の場所も電話番号も記されていない。ソープランドという文字もどこにも書かれてはおらず、知らない人が見たら、なんのマッチだかわからないだろう。
 ソープランド――その言葉が再び、僕の胸を締めつけた。
 俺は昼間っから、こんなところでなにをしてるんだろうな。
 スーパーのビニール袋を胸の前で強く握りしめる。
「おまえ、それ、どうにかなんねえのか?」
 煙を吐き出しながらアツシが僕の胸元を指さした。
「スーパーのビニール袋なんて、いくらなんでもダサすぎんぞ」
「でも……貴重品は持って出ろっていったじゃないか」
「それのどこが貴重品なんだよ。文房具が入ってるだけだろうが」
 僕は口を尖らせただけで、それ以上反論しようとは思わなかった。アツシに説明したところで、わかってもらえるはずもない。
 十分ほどすると、蝶ネクタイの男が戻ってきた。僕たちの前に二枚の紙片を出し、「どちらになさいますか?」とすました声で尋ねる。それぞれの紙には、あまりうまくはない字で「レイ、二十一歳、細め、ロングヘア」「ラン、二十歳、細め、髪は肩まで」と記されていた。どうして髪型だけにこだわるのかわからなかったが、確かに「たれ目」「鷲鼻」「分厚い唇」などとは書けないだろう。女性の容姿の中で唯一髪だけは、正直に表現してもけなしたことにはならない。
「おまえの退職祝いなんだから、おまえから選んでいいぜ」
 アツシがそういったので、僕は「ラン」のカードを引いた。別に深い意味があったわけではない。ただ母さんの名前が玲子だったので、そちらを避けただけのことだ。
「ではお先にこちらの方からどうぞ」
 蝶ネクタイがアツシに向かっていった。アツシは立ち上がり、
「じゃ、お先に」
 僕の肩を叩くと、待合室を出ていった。
「お姉さん、こんにちはあ」
 どこにボイスチェンジャーを隠し持っていたのか、遠くからアツシの――高くなったり低くなったりする奇妙な声が聞こえてきた。恥ずかしくなり、顔を伏せる。誰とでも平気で言葉を交わせるアツシが羨ましくもあった。
 部屋の中は僕一人きりとなってしまった。どのように時間を潰していいかわからず、ただぼおっとテレビの画面を見続ける。今、警察が踏みこんできたら、裏ビデオを見ていた罪で、僕も逮捕されてしまうのだろうかなどと、馬鹿げたことも考えた。
 ビデオの中で悶えている女の子はがりがりに痩せていて、不快感しか与えない。
「ショウジ。もっと、お願い、もっとぉ」
 女の子が間抜けな声を出した。
 思わず、テレビのスイッチを切ってしまいたくなる。
 ショウジ? ……やめてくれよ。
 親父の顔が脳裏に浮かんだ。僕は頭を振り、その姿を追い払った。
 親父に会社を辞めた理由をどう説明するか――それを考えると憂鬱だった。

つづく

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