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MAD LIFE 014
1.ねじが抜けてなにかが狂った(14)
7(承前)
電話が鳴る。
「今頃、誰かしら?」
濡れた手をエプロンで拭いながら、由利子は洋樹の隣に腰を据えている黒い塊に手をかけた。
「はい、春日ですが」
沈黙が続く。
由利子の眉がわずかに歪んだ。
どうやら、相手はなにも喋らないらしい。
「もしもし? どちら様ですか?」
苛立った口調で彼女はいった。
「悪戯ね」
ため息混じりに受話器を置く。
「最近、多いのよね。こういう電話。こちらが出ると、しばらく無言のまま、一方的に切っちゃうの。気持ち悪いったらありゃしない」
ぶつぶつと文句を繰り返しながら、由利子は台所へ戻った。
再び、電話が鳴る。
「もう、またあ?」
「俺が出るよ」
洋樹は腰を上げ、受話器を取った。
「もしもし、春日ですが」
『あ、ラッキー。二回目でおじさんと繋がった!」
彼の耳に飛びこんできたのは、明らかに聞き覚えのある声だった。
「あ、あの……」
横目で由利子の様子をうかがう。
「電話、誰から?」
と由利子。
「あ……会社の人からだ」
洋樹は受話器を持ち替え、早口で答えた。
『私、わかるでしょ? 瞳だよ』
受話器の向こうからあの少女の声が届く。
「あ、ああ」
洋樹は額の汗を拭いた。
『おじさん、名刺を落としていったでしょ? だから、電話番号がわかっちゃった』
「あ……そうかい」
『それとも、わざと落としていったのかな?』
瞳は意地悪っぽく笑うと、続けて洋樹にいった。
『おじさん、私と浮気しない?』
(1985年8月26日執筆)
つづく