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海が見たくなる季節 3
2(承前)
落ちる落ちる落ちる……
穴の出口が見える。と同時に、激しい吐き気を覚えた。
僕は勢いよく穴から飛び出した。
……そこは都会だった。
僕の目の前では一人の男が汗にまみれて働いていた。彼の顔は油で真
黒に汚れ、とても見られるものではなかった。死んだような表情。単純きわまりない動作。まるでロボットだ。働き続けるだけの機械人形に、僕はとてつもない恐怖を感じた。
彼の思考を覗きこむ。
無
驚いたことに、そこにはなにもなかった。真白な空間。ついさっきまで僕が走っていたあの場所とまったく同じだ。
(それであなたは、なにが楽しいのですか?)
僕は問いかけてみた。
(楽しい?)
男は僕の質問にとまどいの表情を見せた。
(これが私に与えられた役目なのです。不満なんて口にしたら罰があたりますよ)
……え?
(私は今の生活に満足しています)
(満足? 嘘だ嘘だ嘘だ!)
彼の言葉を聞くや否や、僕は胃の中のものを全て吐き出してしまった。気分が悪い。早く、ここから逃げ出してしまいたい。
僕は走った。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
僕の目の前には、何百人、いや何千人、何万人もの人間がいた。
彼らは、互いに自分の相手を見つけると、楽しそうに会話を始めた。だが僕には、彼らの本音が聞こえてくる。
彼らは皆、黒くてどろりとした、ひどい悪臭を漂よわせる塊を、内面に持っていた。僕にはそれがはっきりと見えた。
信じられる人?
そんな人間はどこにもいない。いやしない。
「君、幹成君じゃないか。」
誰かが僕の名を呼んだ。僕は、恐る恐る声のしたほうを振り向いた。
「なにをそんなに怯えているんだい?」
僕は彼の顔を見つめた。僕の知らない人間だった。
「ねえ、君」
その男は僕の肩になれなれしく手をかけると、口もとに笑みを浮かべた。
「君は僕のことが好きかい?」
次の瞬間、彼はあのどろりとした黒い塊に変わっていた。
「うわあっ!」
僕は悲鳴をあげ、その塊を無我夢中で追い払った。
黒い塊は僕の足もとでベちゃべちゃと音をたてながら、しつこく同じセリフを繰り返した。
「ねえ、君……君は僕のことをどう思ってる?」
「やめてくれ!」
僕は悲鳴をあげ、その場から逃げ出した。
つづく
※読みやすくするため、原文に多少の修正を加えております。