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旅の思い出

 十九歳の夏、みちのくひとり旅を決行した。
 当時つき合っていた女の子から、「男のひとり旅ってカッコイイよねえ」といわれたからである。
 北へ向かおうと考えた理由は、暑くて寝苦しいのはイヤだから――ただそれだけ。
 「青春18きっぷ」を買い込み、鈍行列車に乗り込んで、僕はあてのない旅へと出発した。

 動機が不純な上、呆れるほどに無計画な旅だった。
 当然ながら、いきなり苦難にぶち当たる。
 道に迷って遺難しかかるわ、高校生と間違えられて補導されそうになるわ、派手なお姉さんに股間を撫でられるわ、ハプニングの連続。
 生まれて初めての野宿はメチャクチャ恐ろしく、結局一睡もしないまま夜を明かす羽目になった。

 だが、そんな緊張や戸惑いも初日だけ。
 すぐにそれらのハプニングを楽しめるようになり、また、見知らぬ土地で見知らぬ人と会話を交わすことが、だんだん面白くなっていった。

 このまま、旅は順調に進むものと思われたが、しかし五日目に予想外の事態が発生する。
 鈍行列車に長時間握られたことが原因か、はたまた、ほとんど風呂に入っていなかったことが災いしたのか、持病のイボ痔が悪化したのだ。

 これしきのことでくたばっては男がすたる。
 彼女だって馬鹿にするに違いない。
 痛みを堪え、「なせばなるなさねばならねなにぬねの」と譫言を繰り返しながら、僕は旅を続けたが、やせ我慢も長続きはせず、ついには歩くことさえ困難となった。

 野宿をあきらめ、温泉宿で身体を休めても、お尻の痛みはいっこうに治まらず、結局僕のひとり旅は、そこでピリオドを打つこととなる。
 なんとも間抜けな結末だが、温泉に浸かったときの快感は、今も忘れられない。
 うら寂しい宿の一室で、お尻を丸出しにしながら薬を塗った虚しいヒトコマも、今となっては懐かしい思い出である。

 さて、このたびカッパ・ノベルスから発売された「ふたり探偵」は、夜のみちのくをひた走る寝台特急「カシオペア」を舞台にした本格ミステリだ。
 十九歳の夏のひとり旅を、懐かしく思い返しながら書き綴った。
 あのとき、車内で夢中になって読んだ本も、やはりトラベルミステリだった。
 もし、「ふたり探偵』をこの夏の旅のお供にしていただけたなら、こんな嬉しいことはない。

 「ひとり旅ってカッコイイよねえ」と口にした彼女は、その後間もなく僕の前から姿を消した。
 一方、あの旅で散々に僕を苦しめたイボ房とは、今もまだ仲良く暮らしている。

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〈ジャーロ〉2002年夏号 掲載


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