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ノセトラダムスの大予言07

 3

 やがて、晶彦を乗せた電車は目的の駅に到着した。
 夏のまぶしい陽射しに目を細めながら、ホームに降り立つ。夏草の懐かしいにおいが鼻腔をくすぐった。
「――晶彦」
 改札を通り抜けたと同時に、何者かに呼び止められた。顔を上げると見覚えのある人物がひとり、晶彦の前に立っている。顔の下半分に長いひげを生やした、熊のような大男だ。昔よりもいくらかふっくらしたようだが、しかし大きな目やとがった鼻は二十年前とまったく変わっていない。
「ひさしぶりだね」
 はにかんだしゃべり方、照れたその表情は、小学生の頃とまったく同じだった。首にぶら下がった一眼レフカメラが、持ち主の動きに合わせてゆっくりと左右に揺れている。野々村治樹に間違いない。
 晶彦は予期せぬ旧友との再会に、ぽかんと口を開き間抜けな表情を見せた。
「治樹……今日のことを覚えていたのか?」
 驚きを隠すことができなかった。いくら約束を交わしていたとはいえ、まさか本当にこのような形で再会できるとは思ってもいなかったのだ。だが、治樹はなにをそんなに驚いているのか、と不思議そうに晶彦を見据えた。
「当たり前じゃないか。地球最期の日を僕ら三人でクヌギの大木から見届けるって、そういう約束だっただろう? 亮介はひと足先に林へ向かって、準備を始めてるよ」
「亮介も来てるのか?」
「ああ。だって謎を解かなくちゃならないからね」
 目尻にたくさんの深いしわを刻みながら、治樹は答えた。
「これ、あのときのカメラなんだよ。懐かしいだろ?」
 そういって、腹の前で揺れていたカメラを持ち上げる。それを見た途端、わずかだが晶彦の左の頬は熱くなった。
 それは二十年前、ユリにぶたれたところだった。
 ――卒業式があと数日後に迫った朝だ。
 晶彦がひとりで学校へやって来ると――能勢を糾弾して以降、ユリが同じ通学電車に乗り込んでくることはなかった――校門の脇に備えつけられた掲示板にたくさんの人だかりができていた。
 あっという間に消えてしまう不思議なインクだの、かけ算が即座に解ける魔法の計算機だの、今考えるとなにがそんなに魅力的だったのかよくわからない商品を校門前で売りさばく男が店を広げていると、そんなふうに小学生の人だかりがよくできた。最初晶彦は、またなにかが売られているのだろう程度にしか考えていなかった。
 だが、事実は違った。掲示板を取り囲む子供たちの口からは「能勢先生」、あるいは「久遠ユリ」という言葉が繰り返し発せられていた。
 もしかしたら――。
 晶彦は人ごみをかき分け、掲示板の前に進み出た。思ったとおり、掲示板には大きく引き伸ばされた一枚の写真が張り出されていた。それは学校の裏庭で、能勢とユリがキスをしている決定的瞬間を写したものだった。
 突然ぐいっと襟首を引っ張られ、晶彦は人ごみの外へ引きずり出された。周囲のざわめきが瞬時に消える。皆が晶彦のほうへなにやら複雑な視線を向けていた。
 振り返ると、そこにはユリが立っていた。晶彦の襟首をつかんだまま、これまで見たことのない恐ろしい形相で睨みつけてくる。ユリの唇は紫色に染まっていた。全身が怒りで震えているのがわかった。
「やあ……おはよう」
 なんと声をかけていいかわからず、晶彦は間抜けな言葉を返した。次の瞬間、彼は左の頬を強く引っぱたかれていた。誰かにここまで敵意を剥き出しにされたのは生まれて初めての経験だった。
「最低」
 ユリは汚いものでも吐き捨てるように、冷たく言葉を放った。
「これ、あなたたちの仕業でしょ?」
「……いや」
 首を振るのがわずかに遅れた。もちろん晶彦には、他人の秘密を暴き立てた写真を張り出すなどという無粋な真似をした記憶などなかった。だがまったく心当たりがなかったわけでもない。その写真には確かに見覚えがあった。
「おはよう……おい、なにがあったんだ? この人だかり」
 タイミング悪く、亮介と治樹がやって来た。ユリはふたりを睨みつけ、全身を小刻みに震わせながら叫んだ。
「私、あなたたちを……あなたたちを絶対に許さないから!」
 彼女は捨て台詞を残し、晶彦たちの前から去っていった。

                   つづく

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