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ノセトラダムスの大予言03
2
車内は比較的空いていた。だが晶彦は座席に腰を下ろそうとはせず、ドアのそばに立って、流れる風景をじっと眺め続けている。
二両目、進行方向に対して左側前方に位置するドアの脇。小学生時代の晶彦が、通学時に決まってたたずんでいた場所だ。電車が今日のように空いていても、あるいはどれだけ混雑していても、彼はその場所を執拗に選んだ。もちろん、それには彼なりの理由があった。
次の停車駅では、毎朝決まって同じドアから乗り込んでくる少女がいた。晶彦と同じクラスに在籍していた久遠ユリだ。ユリは人気者で、学校ではなかなか気軽に話しかけることができなかった。誰にも邪魔されずふたりきりで言葉を交わすことができるのは、その通学電車の中しかなかった。
ユリは二学期の初めに、東京から引っ越してきた髪の長い女の子だった。初めて彼女を見たとき、晶彦は自分がテレビドラマの登場人物になったような錯覚に陥った。彼女がいるだけで、薄汚いいつもの教室が、まるでテレビ局のスタジオセットのように感じられた。それくらいユリは現実離れした――異質な存在として晶彦の目に映った。
おかっぱ頭に真っ黒な顔、洒落っ気のない服ばかり着た女の子たちが集まる教室の中で、つばの広い帽子をかぶり、テレビの中だけでしか見たことのないふわふわの衣装に身を包んだ彼女は、もはや異世界の住人としか思えなかった。
長い黒髪、ややつり上がった切れ長の目、ピンク色に光った唇。そのどれもが魅力的で、晶彦は彼女を見ているだけで幸せな気分に浸ることができた。おそらくそれが彼の初恋だったに違いない。
NHK以外はふたつのテレビチャンネルしかないような田舎町だったから、ユリはどんな格好をしていても、どこにいても目立った。いつも輝いて見えた。ユリに惹かれたのは、晶彦だけではなかっただろう。
「ユリはノストラダムスの予言についてどう思う?」
一度、電車の中でそんな質問を投げかけてみたことがある。
「やっぱり怖いよね。みんな死んじゃうんだから」
「べつに」
ユリは自慢の黒髪をいじりながら、つまらなさそうに答えた。
「たとえみんなが死んだって、私は絶対に生き残ってみせるもの」
そのクールないいぐさに戸惑いながらも、晶彦は「でもたとえ命が助かったとしても、地獄のような毎日が待っているかもしれないんだぞ。それでもいい?」と会話を続けた。
「大切なものをいっぱい失って、すっかり生きる気力をなくすかもしれないけど、きっと誰かが救いの手を差し伸べてくれると思う。むしろそういうどん底の生活の中でこそ、なにが自分にとって本当に大切なもので、なにが必要のないものかがわかるんじゃない?」
ユリの前だといつも、晶彦は自分が馬鹿みたいに子供であることを思い知らされた。同じ十二歳だというのに、ユリは彼に較べてずいぶんと大人だった。この年頃の女の子が、男より早熟なのはわかっていたが、ほかのクラスメイトと較べてみても、ユリはかなり大人びて見えた。
私が人生の大きな壁にぶつかってもがき苦しんでいるとき、もしそこから救い出してくれる人がいたなら、私は本気でその人のことを好きになると思う。
それがユリの口癖だった。ユリの母親はある大きな事故で一度に両親を失い、その後に預けられた叔父夫婦の家でいじめられ、ひどく悲惨な子供時代を送ってきたのだそうだ。耐えきれなくなり、ついに死を決意したとき、彼女に手を差し伸べ助けてくれた青年が父だったらしい。その話をユリはしつこいほど何度も、晶彦らに語って聞かせてくれた。
当時、晶彦を含めたクラスの男子児童のほとんどが、ユリに夢中になっていた。治樹などは自慢の一眼レフカメラでこっそりユリを隠し撮りし、焼き増しした写真を売り歩いていたくらいだ。写真は驚くほど売れ、お年玉に近い額を集めるまでとなった。もちろん晶彦も、少ない小遣いをはたいて治樹から写真を買ったひとりだ。
ただ亮介だけは、ユリに興味のない素振りを見せ、晶彦や治樹が彼女に夢中になる姿を見ては、「馬鹿馬鹿しい。都会から来たお嬢様だから、なんとなく一時的に珍しく見えるだけさ。パンダと同じだよ」としらけた文句を吐き続けた。だが亮介のユリに対する視線が尋常でないことくらい、晶彦はとうの昔に気がついていた。
つづく