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フォスター・チルドレン 30
第3章 誰を救おうとしているんだろう?(5)
1(承前)
病院を出ると、すでに太陽はかなり高い位置にまで昇りつめていた。腕時計に目をやる。一時を数分回ったところだ。今日は夕方からバンドの練習があったが、どうしても足を向ける気にはなれない。
アパートに戻ると、郵便が届いていた。「フォスター・プラン協会」からだ。封を開けると、リカードと彼の両親からの手紙が入っていた。僕にはスペイン語が理解できないので、フォスター・プランの方が訳してくれた日本語の手紙も同封されている。僕は郵便受けの前で、その手紙に視線を落とした。
リカードの手紙の最後には僕の似顔絵が描かれていた。以前、送った写真を見ながら描いてくれたのだろう。いつもならリカードからの手紙を見ると心が和むのだが、今日はまったくそんな気分にはなれない。逆に、理由のわからない腹立たしさを覚えた。
次にリカードの両親の手紙を見て、僕は唇を噛んだ。
わたしたちのために援助、ありがとうございます。あなたはこの国の自然を羨ましいと書いておられました。でもそれはとんでもない誤解です。わたしたちの国のことをもっと理解してください。
怒りを感じた。なにに対して腹を立てているのかはわからなかった。僕は手紙を郵便受けに乱暴に戻すと、もう一度バイクに乗り、アクセルをふかした。そのままめちゃくちゃに走り続けた。
乱暴に海沿いの道を走ると、少しだけ気分が晴れた。僕は喫茶店に入り、そのあとは時間が流れていくのをなんとなく傍観し続けた。
今日は土曜日だったが、それでもウインドウ越しに、汗を拭きながら忙しそうに歩くスーツ姿のビジネスマンの姿がたくさん見えた。僕も休み返上でよく働かされたものだ。仕事に励む彼らを見かけると、激しい劣等感に悩まされなければならなかった。
僕はここでなにをしているのだろう?
ひどく焦っていた。それはわかるのだが、しかしどのように行動していいか、そのすべがわからない。
このまま身体も心も腐っていくのではないか――そんな思いにとらわれ、二の腕に鳥肌が立った。いや、すでに腐りきっているのかもしれない。僕は親父を殺そうとしたのだ。それなのに平然と、喫茶店でコーヒーをすすっている。
一昨日、ソープランドへ行く途中で見かけた薄汚れた男の姿を思い出し、僕は大きく頭を横に振った。
蘭の顔が浮かんだ。
一昨日、こんな風に不安な気持ちでいっぱいだった僕の心を、蘭はいとも簡単に癒してくれた。もう一度蘭に会えば、この焦燥感を追い払うことができるかもしれない。
財布を開ける。リカードの写真と一緒に、「ミルキーロード」のサービス券が挟みこまれていた。「また来てね」――蘭の直筆の文字を見るだけで、少しだけ僕の病んだ心は和らいだ。
蘭に会おう――「ミルキーロード」に行ってみよう。
もちろん、それが単なる逃避行動であることはよくわかっていた。女性に逃げることで、身を破滅させた男の話など、下世話な週刊誌を読めば腐るほど掲載されている。
これが最後だ。
僕はサービス券を握りしめ、頷いた。
無職なんだから、金にだって余裕はない。これで「ミルキーロード」へ行くのは最後にしよう。
蘭に励ましてもらえば、勇気が出る。もう一度、バンド仲間と話し合うことだってできるだろう。
誰がなんといおうと、僕はミュージシャンになる夢を捨てることなどできない。
グラスの底に残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干し、店を出た。店先の公衆電話から予約を入れると、バイクにまたがり「ミルキーロード」への道のりを急いだ。
つづく