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ノセトラダムスの大予言04

 2(承前)

 一度、塾から帰る途中に、ユリの家の前をうろうろと歩き回る亮介の姿を見かけたことがある。亮介は時折立ち止まっては、思いつめた表情で明かりのついた二階を見上げ、大きなため息を吐き出していた。胸の前で強く握り締めていたものは、おそらくラブレターだったのだろう。声をかけてからかってやろうかとも考えたが、すぐに思いとどまった。そんな切ない顔をした亮介を、晶彦はこれまで見たことがなかったからだ。果たして亮介はユリにラブレターを渡すことができたのか――その答えを晶彦は今も知らない。
 彼は晶彦らの前では乱暴な言葉を吐くくせに、女の子を相手にするとなかなか口を開くことのできない純情な少年だった。ラブレターは結局、渡せずじまいだったのではないか、と晶彦は推測している。
 万が一ラブレターを渡すことに成功していたとしても、きっといつもの決まり文句で断られていたに違いない。「わたしが人生のどん底でもがき苦しんでいるとき、親身になって手を差し伸べてくれたとしたら、ひょっとするとあなたを好きになるかもしれないわね」と。
 ユリとは小学校を卒業して以降、別々の中学に通ったので、おたがいに連絡を取り合うこともなかった。可憐な少女も、今は三十二歳になっているはずだ。一体、どんな女性に成長しているのだろう? 晶彦はそれを想像して、久しぶりに胸を高鳴らせた。
 電車はスピードを落とし、最初の駅に到着した。いつもユリが黒髪を揺らしながら、乗り込んできた駅だ。晶彦は毎日この場所で、胸をどきどきさせながら彼女に向かって「おはよう」と挨拶を投げかけた。ユリは帽子を脱ぎ、にこりと微笑んで「ごきげんよう」と、異国の挨拶を返してくれた。退屈な通学時間は、ユリが現れてからというもの、もっとも待ち遠しい至福のときへと変化した。
 一瞬、晶彦は奇妙な錯覚にとらわれた。小学生時代そのままの姿をしたユリが真っ赤なランドセルを背負い、つばの広い大きな帽子をかぶって、今にも車内へ飛び込んでくるような気がしたのだ。しかし、その駅から乗り込んでくる客はひとりもいなかった。
 もしかしたら大人になったユリが現れるかもしれない。実はそんな淡い期待も抱いていたのだが、やはりかなうことはなかった。
 あたりまえだ。
 晶彦は苦笑した。今日が地球最期の日だなんて、そんな話を彼女がいまだに覚えているはずがない。
 ユリはいつもにこにこと笑って晶彦の話を聞いてくれたが、内容なんてほとんど頭に入っていなかったに違いない。彼女の頭の中はいつも、能勢先生のことでいっぱいだったのだから。
 ノセトラダムス。
 またもや懐かしい顔が記憶の底から頭をもたげた。ノストラダムスならぬノセトラダムス。晶彦らは担任の能勢和史をそう呼んでいた。
 能勢はそのあだ名からもわかるとおり、予知能力を持った超能力者だった。
 最初にノセトラダムスがその能力を発揮したのは、夏休み前に行われた球技大会でのことだ。
「ソフトボールは二対〇で我ら三組が勝つんじゃないかな」
 試合前、能勢はあどけない――子供のような表情でそんな言葉を口にし、そしてそれは事実そのとおりになった。そのときは皆、たまたま当たったのだろう、くらいにしか考えなかったのだが、続けて行われた水泳大会で、どの組が優勝するかまでも能勢は見事にいい当てた。その日から、彼は児童たちの間で予言者ともてはやされるようになった。
 たまたま偶然が続いただけだよ、と冷静に受け止めていた一部の子供たちも、夏休み明けに起こった事件では、彼の超能力を信じないわけにはいかなくなった。
 ちょうどユリが転校してきた直後の出来事だ。クラスメイトのひとり――学級委員長を務めていた女の子だったと記憶しているが、晶彦はどうしてもその名前を思い出すことができなかった――が母親の鏡台から黙って持ち出して身につけていたイヤリングが、どこかへ消え失せてしまうという事件が起こった。学級委員長は泣きわめき、しまいにはクラスメイトのひとりを泥棒扱いし始めた。
「よし、先生が見つけ出してやるよ」
 能勢は委員長の肩を叩きながら笑顔で答えると、教壇に戻って目を閉じた。一体なにが起こるのか? と、晶彦らは息を飲んで成り行きを見守った。
 能勢は机の上に手をかざし、なにやらわけのわからない言葉を二、三呟いたあと、「はあ!」と芝居めいた大声を張りあげた。ゆっくりと目を開けた能勢は、それまでの厳しい表情とは打って変わって優しい笑顔を見せ、「わかったよ」と皆に告げた。
「なにも心配いらない。更衣室の植木鉢のそばに転がっているよ。きっと体育の授業で着替えているときに、うっかり落としてしまったんだろうね」
 委員長は能勢の言葉を聞くなり立ち上がると、弾かれたように教室を飛び出していった。彼女に続いて全員が更衣室へと向かう。押し合いへし合いしながら晶彦が更衣室のドアをくぐろうとしたとき、「あった! あったわ!」と委員長の嬉しそうな叫び声が聞こえてきた。

                    つづく

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