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脱線 13
6
僕は再び車を走らせ、蒲生雅史の家の前までやってきた。雅史と話をしたかったわけではない。もう一人の坊ちゃん刈りの男の子――紀男に訊きたいことがあったのだ。
駐車場でカマキリを捕まえていた雅史に声をかける。雅史は素っ気なく、「紀男は帰ったよ」と答えた。彼から強引に紀男の住所を聞き出す。直接自宅まで訪ねてみるつもりだった。
「おじさん、刑事なの?」
雅史が相変わらずの笑顔で訊いてきた。
「裕太の奴、早く逮捕してよね。じゃないと、俺まで命を狙われちゃう」
「命を狙われるのがいやだったら、その平気で人を傷つける言葉と態度をあらためることだな」
僕は冷たくそう言い放ち、彼の前を去った。相手は子供だと分かっているのだが、どうしてもムキになってしまう。哲朗は「それがおまえのいいところだよ」というのだが、僕はいつまでも自分が大人になれていないような気がしていやだった。
車に乗り込もうとしたところで、ふと事故現場のことが気にかかり、チョークの跡が残る交差点に立ってみた。路肩に目をやると、煙草の吸い殻は先ほど来たときと変わらぬ位置に転がったままだった。
僕は屈み込み、吸い殻のひとつをつまみ上げた。湿っていない。今朝の大雨の被害には遭っていないようだ。
この吸い殻がなにかの手がかりになるのでは……。
刑事ドラマなどで定番のように登場するアイテムなので、自分もその役柄になりきっていただけなのかもしれなかった。しかし、どうも引っかかった。一連の事件に関係あるような気がして仕方がない。
僕は吸い殻のひとつをポケットにしまい込むと、立ち上がり、車に乗り込んだ。
紀男の家はこの辺りでは有名なマンションだったので、すぐに分かった。インタホンを押すと、「はい、どちら様でしょう?」と上品な女性の声が聞こえてきた。
「あの……紀男君のクラスの……充君が通っているスイミングスクールのコーチなんですけど」
裕太の名前は出さなかった。マイナスイメージになるかもしれないと、とっさに判断したのだ。
「はあ……どういうご用でしょう。うちは習い事はさせない主義でして……」
不審そうな声が帰ってくる。どうやらスイミングスクールの勧誘と思われたらしい。
「いえ、そうではなくて……充君が事故に遭われたことはご存じですよね? そのことでちょっと紀男君にお話が……」
僕はそう言いながら、舌打ちした。事前になにか嘘を考えておくべきだった。こんなことを言って、「はい、そうですか」と素直に門を開ける人もいないだろう。
「充君の事故に、うちの紀男がどういう関係があるっていうんです?」
「いえ、ですから……」
「さっきのおじちゃん?」
僕がしどろもどろになっていると、インタホンから聞き覚えのある声が流れた。
「ちょっと待って。すぐそこへ行くから」
「こら、ちょっと。紀男――」
どうやらなんとかなったようだ。僕はほっと胸を撫で下ろし、紀男が降りてくるのを待った。
「よかった。僕、話さなきゃならないことがあったんだ」
息を弾ませながら、紀男が僕に飛びつく。子供に懐かれるのは嬉しい。僕は腰を屈め、彼と視線を合わせた。彼の母親であろう人もあとから階段を降りてきた。
「おじさん、油のにおいがする……パパと同じ仕事をしているの?」
「ああ……ごめん」
僕は手のにおいを嗅いでみた。先ほどプリントを触ったときの灯油のにおいがまだ残っていたのだ。
「パパはどんな仕事をしてるんだい?」
「自動車の修理をしているんだよ。おじちゃんも自動車の修理をしているの?」
「いや、このにおいは違うんだ。一昨日、また放火事件があっただろう? あそこへ行ってたもんだから……」
放火という言葉に、彼は必要以上に敏感に反応した。眉がぴくりと動き、なぜか困ったような表情を浮かべる。
つづく