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MAD LIFE 022
2.不幸のタネをまいたのは?(8)
3(承前)
「ここではなんだから中へ入ろう」
洋樹はそういうと、周りに人目がないことを確認し、瞳と共に部屋の中へと上がりこんだ。
室内はかびくさい。
むっとした空気に思わずむせ返りそうになる。
洋樹は畳の上に座ると、涙を拭う瞳に尋ねた。
「お兄さんがいなくなったのはいつ?」
「……二日前」
瞳がぼそりと答える。
「どうしていなくなったのか、その理由はわかるかい?」
「うん」
瞳は頷くと、続けて答えた。
「おじさんになら話してもいいや。……兄は恐喝されているんです」
「恐喝? 誰に? いくら?」
「長崎っていう暴力団関係者に……毎日三万円ずつ……」
「毎日三万円? そりゃあひどい。無茶苦茶だ」
「もちろん、三万円なんて払えるはずがありません。月に九十万円だなんて絶対に無理です。……だけど兄は、払うつもりでいたみたいで」
「どうして脅されていたの?」
他人が安易に首を突っ込んでいい話なのかどうか迷いつつ、洋樹は質問を続ける。
「兄は……」
瞳の目に再び涙がたまった。
彼女の唇が小さく動く。
「兄は人を殺したんです」
「え――」
時間が止まったかと思うくらいの長い沈黙が続いた。
隣の部屋のテレビのボリュームが上がるのがわかった。
「……人を殺した?」
渇いた喉の奥から声をふり絞ってようやく訊き返す。
「もちろん、兄が直接手を下したわけではありません。兄はなにも知らなかったんです。いわれるがまま、毒薬を運ぶ手伝いをさせられて……。兄はそのことをネタに恐喝されるようになりました」
瞳は苦しそうに言葉を紡いだ。
一体どういうことなのか、もっと詳しく話を聞きたかったが、これ以上質問を続けるのはあまりにも酷だ。
洋樹はギリギリまで出かかっていた言葉を呑みこんだ。
「兄は自首しませんでした。警察に捕まれば、私がひとりきりになってしまいますから」
(1985年9月3日執筆)
つづく