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海が見たくなる季節 5
3(承前)
「幹成、起きなさいよ」
階下から母の声がした。
「もう起きてるよ」
僕はそう答えるとベッドから抜け出し、早足で階段を下りた。まだ夢から覚めきっていないような気がしてならなかった。
居間へ行っても、父の姿はなかった。いつものことである。父は仕事しか知らない人間だ。
庭からは母の話し声が聞こえてくる。朝早くから近所の誰かとおしゃべりに興じているらしい。
自慢話。噂話。共通の知り合いの他人の陰口、悪口。
二人は楽しそうに会話を交わしていたが、たぶん別の場所では今とは違う別の誰かと、お互いの悪口をいい合っているのだろう。
もう一度ため息をつく。
なぜだかひどく疲れていた。
4
夏休みに入ったばかりだと思ったら、早くも七月が終わろうとしている。
友人三人と旅行へ出かけたのはそんなときだ。
僕は電車に揺られていた。
夏休みになって以降、そわそわと落ち着かない日々が続いている。
理由はわからない。まるで僕の体の内側に存在するなにかが、外へ出たがりたくてむずむずしているようだった。夏休み前は、あんなにも沈みこんでいたというのに。
……オウチヘカエリタイ
あの声は相変わらず、僕の頭の中を駆けずり回っていた。
「なに、ぼけっとしてるんだよ」
友人の小菅が僕の肩を叩く。
友人――この言葉は、あまり使いたくない。本当の友人なんて、どこにもいやしないのだから。
小菅の言葉を無視して、座席を移動すると、彼らの話し声が耳に届いた。
「小菅。なんであんな根暗を誘ったんだよ」
「そうだぞ。あいつといるとこっちまで湿っぽくなっちまう」
「休み時間はいつだって一人寂しく窓の外を眺めてさ」
「あいつは友達の作り方を知らないだけなんだよ。だから、こう
やって機会を作ってさ」
……勝手にやってろ。
僕は心の中で悪態をついた。
余計なお世話だ。僕は友人なんて欲しくはない。うわべだけの付き合いなんて馬鹿げている。そんな友人を持っても、お互いが傷つくだけだ。だから僕は――。
僕たち四人は海へと向かっていた。
電車の振動が、僕を幾度となく苛立たせる。
「おい、見てみろよ。海が見えてきたぜ」
大柄の大竹が、窓から顔を出して叫んだ。
「どれどれ? おおっ、すげえっ!」
小菅と平林が窓にへばりつきながら、大声をあげる。
僕はみんなから離れた場所で、ぼんやり海を眺めた。
つづく
※読みやすくするため、原文に多少の修正を加えております。