嫌われる勇気は幸せになる勇気
私はいわゆる自己啓発本と言われるものが嫌いだった。
なんとなく胡散臭いというか、本に書いてあることを実行するだけで人生が変わるだなんてあるわけがない……頭が良くてお金持ちで苦労なんてしたことがない人が、自分の素晴らしい人生をひけらかして自慢しているだけじゃないか、なんて思っていた。
私が自己啓発本にこんな偏見を抱いていたのには理由がある。
以前親しかった友人がネットワークビジネスにはまってしまったことがあった。
彼女とは学生時代にファーストフード店でアルバイトをしていた時、一緒に働いていて仲良くなった。とても頭のいい人で、それなのにそれを鼻にかけるようなところが全くなく、私は彼女が大好きだった。また、しっかりと自分の意見を持った人だった。Noと言えず、しょっちゅうエステのキャッチに捕まっては勧誘されていた私は、言いたいことをハッキリ言える彼女を尊敬してもいた。その彼女が、ネットワークビジネスにはまり、私を勧誘してきた。あの彼女がどうして……と本当にショックだった。
彼女は私に「人生の勝ち組になろう」と口癖のように言いながら、自分が読んでいる自己啓発本を勧め、しつこくセミナーに誘ってきたが、
私が誘いを断ったために、その友人とは疎遠になってしまった。今思えば、自己啓発本には何の罪もないのだが、友人を洗脳した悪魔のバイブルとして私の脳内に色濃く残ってしまったのだ。
また、かつての私が劣等感の塊だったことも影響しているかもしれない。
4歳で小児喘息を発症してからは、外で遊ばせてもらえなくなることが増えた。友達の家に遊びに行っても、みんなが外に遊びに行ってしまえば、母の許しがない限り、私は家の中で1人で遊ぶしかなかった。たまに一緒に遊ぶことがあってもちょっと走ったりするだけで発作が出てしまったり、みんなのように機敏に動くのが苦手でいつも遅れをとってしまうので置いていかれて結局1人になることが多かった。
小学生になっても集団生活に馴染めず、授業の始まる時間にいつも遅刻したり、教科書を何度もなくしたり、何をするにも異様なほど時間がかかってしまったり、みんなができることが自分だけできない。友達から仲間はずれにされることも度々あった。
高校生になって初めて親友と呼べる友達ができたが、その親友は頭が良く、可愛くて、男女問わずみんなに好かれていたため、彼女と一緒にいればいるほど強い劣等感を感じていた。その一方で彼女に嫌われてまた1人になったらどうしようといつも怯えていた。
社会人になってからも常に人の顔色を伺いながら、嫌われないように生きてきた。だが嫌われないようにすればするほど、疎外感は強くなっていった。
歳を重ねるごとに疎外感を感じていながら、それに気づいていないように振るまうことを覚え、おちゃらけた自分を演じるという術を身につけ、学生時代よりは周りとうまくやっているつもりになっていた。
でもそうやってごまかしてみても、やはり常に劣等感はつきまとい、そんな自分が嫌いで毎日が辛かった。
そのうち、自分の人生がこんなに辛いのは、家が裕福じゃないせいだとか、美人に生まれなかったせいだとか、要は自分が生まれた環境が恵まれていないせいだと思うようになった。すべて周りのせいにして悲劇のヒロインを演じることで何とかその辛さをやり過ごしていたのかもしれない。
自分と向き合ったことなど、ただの一度もなかったからそもそも自己啓発本など手に取ろうとも思わなかったのだ。
そんな私だったから、「嫌われる勇気」という、この本のタイトルを初めて見た時、衝撃を受けた。私にとって「嫌われる」ことは決して大げさではなく社会的な終わりを意味するものであったから。
今まで手に取ったことすらなかった自己啓発本を一気に読んでしまった。
内容は青年と哲学者の対話形式で書かれている。
青年は自分の人生がうまくいかないのは自分の置かれた環境のせいだと思っている。
そして恵まれた環境で何もかも手に入れている友人を羨み、妬んでいる。
その一方で自分には美しい容姿も、優れた能力もないのだから、この程度の人生なのはしょうがないと半ば諦めてもいる。
そうやって自分を無理矢理納得させて何とか生きてきたというのに、哲学者はそれは全て間違いだと言い放つのだ。
まるで自分自身をを否定されたかのように感じた青年は烈火のごとく怒り狂い、何とか哲学者を負かそうと哲学者の元へ通い詰めるのだが……
私がそれまで頑なに信じてきた思いを青年はすべて代弁してくれた。そしてその思い一つ一つを哲学者が崩していった。
最後のページを読み終わった瞬間、初めて自分の存在を認めてもらえたような気がした。
もし、あなたが生きづらさを感じているなら、是非手にとってみてほしい。
きっとこの本の中にそこから抜け出すヒントを見つけられると思うから。