12. 垣根を越えて

題:垣根を越えて

 先日、放送大学の番組で、アメリカの近代文化についてのシリーズ講義をやっていまして、アメリカ社会とさまざまな芸術作品との関係が面白く論じられていました。なかでも、エルビス・プレスリーについての講義が興味深かったです。

■エルビス・プレスリー 
 詳しくは覚えていませんが、その講義で強調されていたのは、エルビスの音楽は、都市と田舎、黒人と白人といういくつかの垣根を越えた、という点でした。エルビスは白人でしたが、黒人の歌を歌ったというのです。そして、田舎的なカントリーミュージックと、都会的なR&Bを融合させたといいます。そしてそれらは究極的には野生vs文明の調和であった、と。エルビスはアメリカの中に存在していた様々な壁を一気に飛び越えた存在であったようです。

■マイケル・ジャクソン
 このエルビスの講義を聞いてすぐに思い出したのが、マイケル・ジャクソンについてのドキュメンタリー番組です。かなり昔のドキュメンタリーでしたが、それが言っていたのは、マイケルは、黒人と白人の垣根を越えた存在となるために肌の色を変えた、ということでした。それまでは黒人音楽専門であったマイケルは、"Bad"という曲あたりから、音楽には白人的な要素を取り入れ始め、同時に自らの肌や顔も変わり始めるのだそうです。
 それがマイケルの意図だったのかどうかはわかりませんが、解釈としてとても納得のいくものでした。マイケルが生前スキャンダラスで猥雑な人物として報道され続けたのは、彼が様々なカテゴリーをまたぐ存在だったからだと思われます。

■越境の衝撃  
 カテゴリーの越境はグロテスクです。それはドラゴンやユニコーン、クリーチャーのような存在です。垣根を越境するゆえに、何にも分類できず、それゆえに我々は認知を混乱させられるのです。彼が黒人から白人に変身することで、人々は彼を何にも分類できなくなり、それゆえに彼を描写するにあたって混乱したのです。
 しかも彼はアメリカにおいて最も基本的な区分ーーおそらく男女の区分よりもーーである、黒人と白人という区分を越境してしまった。それは彼の「スリラー」という曲のビデオで、彼が死者と生者の境界を行き来していることで予言されていたようにも見えます。
 またマイケルは子供と大人という垣根をも乗り越えました。彼は自ら子供の世界の住民となることにより、大人と子供の中間的存在となり、人々をギョッとさせました。彼はチンパンジーをも友達とし、野生と文明の境界線をも曖昧にしました。
 マイケルとエルビスはアメリカの様々な分断を乗り越える反逆者、革命家だったのです。すべての人のための音楽を。

■まとめ
 バイデンという新しい大統領が誕生し、アメリカが今後分断にどう取り組んでいくかが注目されています。そのために人々は新しい閣僚の人種構成や性別構成に注目します。そこに多様性と融合はあるのか、と。エルビスはそれを音楽によって表現し、マイケルは、それをさらに過激におしすすめ、自らの身体によって表現したのではないでしょうか。

2021/01/23
作:Bangio
 

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