お金を払う価値とは?
君はアフリエイトとか向かないよ!
去年、知人に紹介してもらった占いのできる方にそう告げられました。
僕は、占い曰く、正社員として、会社や人に尽くした方がお金が入ってきやすいそうなのです。
そう言われたのに、僕はなんとなく好きな文章で、商品のことを書いて誰かが救われるならそれこそ素晴らしいことだという思いを捨てられません。それで最近は、ブログを立ち上げてみようと思い立って準備をはじめていました。
しかし、いざ、ブログで文章を書こうとしてもこのnote で文章を書くのはすごく楽しく、スムーズにできるのに、ブログはどう書いていいのかわからなくなりました。
そして、その後、悶々とどんな記事を書こうかと悩んだ末に、思ったのは、コンテンツの価値って一体、なんだろう?お金を払うって一体、なんなんだろうとまで考えてしまいました。
普段、noteで見させてもらっているみなさんの記事はほぼほぼ、僕は購読しているわけではないのでフリーで見ることができます。
しかし、その書いたnoteのライターさんの言葉の中には様々な物事のヒントがあったり、気づかされることが多いのです。
そう思うということは僕の中でそのライターさんたちの記事は、ものすごく価値があったということなのでしょう。
それなのに、フリーで読めてしまうとは、僕はどれだけ徳をして幸せな人生、素晴らしい世界を生きているのでしょうか(笑)
逆に有料となっているnoteは、どんなことが書いてあるのかすごく気になります。
そしてライターの方々はどうして有料にしようと思ったのか?
その値段の算定価値は?
書いた方がすごい人だからというネームバリュー?
小説や詩などの作品的価値があるから?
うーん……ぐるぐると頭の中が巡ってわからなくなってきました。
人は手に入れたい情報にお金を払うのでしょう。
知りたいとか手にれたいとかいう欲求にお金を払うのだと思います。
また、何かをもらったからお返しに何かを渡すというものでもあると思います。
それに、その占いをしてくれた方に、占いでお金を払うのは、将来の展望やあなた自身の情報を得ることで何かを得たら、何かを手放さなければならないというものの流れにしたがってお金を払うという話を聞きました。
誰しもお金をもらいたいという願望はあるにせよ、やっぱり稼ぐって結構、僕はハードルの高いことだなと痛感します。
僕が何かをしたり、誰かのためになった分だけ、お金がもらえるというのであれば、自分のできる力、持っているけれど気づいていない力を発見してどんどん磨いて行かねばならないからです。
僕の試行錯誤はまだまだ続きます。
そう考えるとやっとおじいちゃんになって何か気づけるのかなとも思い、そうなると人生って案外、呆気なくて短いものだなと感じさせられますね。
いつか今のぐるぐるとした僕の悩みの果てに何かが成就してくれたらいいなということを願って止みません。
今日もありがとうございました。