見出し画像

我がためか他がためか 本能寺の謎

突然ですが、みなさんは歴史がお好きですか?

僕は歴史が好きで歴史番組や歴史が関わるドラマ、ネットの記事を見て、個人的に歴史を勉強しています。しかしなかなか語る場がないので、noteに歴史が関わるいろいろなテーマで文章を書いていきたいと思っています。こんな話は実際はないとかもっとこうだとか賛否両論の意見はあると思いますが、見ていただけると嬉しいです。

その話題で今年、熱いのが大河ドラマの主人公となっている明智光秀ですね。

僕も歴史が好きで「麒麟がくる」を見始める前から明智光秀についてもちょくちょく調べることがあったのですが結構、謎が多い人物だということをご存知ですか?今回はその明智光秀について僕の勉強した範囲でまとめてみたいと思います。

●明智光秀の出生は謎に包まれている

ドラマでは、美濃の蝮と呼ばれる斎藤道三の部下として物語が始まっています。出生は、今の岐阜を押さえている土岐氏の部下に、「明智」という名前があるそうで、そこの出身だという説が強いようですね。

ただ大河ドラマで描かれているような主君の斎藤道三と近かったかといえばそういう訳ではないようです。

結局、斎藤道三の一番の側近として描かれているのはドラマでの展開を想定してのようですね。

●本能寺の変で織田信長を襲撃した理由も謎

明智光秀は、本能寺を攻撃しますが、その理由はまだ定かのものがわかっていません。ここでは有力な例を三つ挙げてみます。

その一 織田信長が嫌な上司だった説

信長の元に仕えた明智光秀は、様々な功績を残します。その中でも一番の手柄と信長に称賛されたのが「丹羽の国」の攻略です。「丹羽の国」は京都の上の方(京丹後)のあたりですかね。丹羽の国を攻略した手柄として、その地一帯の守護を任されることになります。ここまでブラック企業の如く、様々な場所での合戦に赴いて馬車馬のように戦っている歴史があります。その中でやっと落ち着く場所を手に入れた光秀ですが、その後、「本能寺の変」が起きる3年後にまさかの国替えを命じられます。
領民のためにをスローガンにとても平穏な領地運営を手がけてきた明智光秀にとってこの対応は寝耳に水の事態だったでしょう。領民からも慕われていた光秀は国と自身のこれからを想い、刀を握ったのは優しい心があったからこそなのかもしれません。

その二 京都の公家たちと近く、暗殺をお願いされた説

明智光秀は、織田信長の部下になる前には15代将軍足利義昭の部下として信長との橋渡しに関わっています。足利義昭は将軍ですが、京都の帝や公家から征夷大将軍と任ぜられた人です。京都とのパイプを強く持っていました。逆に京都の人々は、官位を武士に授けることで、その地位を保っていたのです。ところが信長は、そういった元来ある地位を最初は重んじるけれども、あ、これ俺の中でいらねえなと思ったらぶっ壊していく人なんです。
本願寺焼き討ちや一向一揆鎮圧も反抗勢力とはいえ、のちのちの関係を考えるのなら従わせるのが一番のメリットです。しかし、信長はそういったことが嫌いです。今までのものを破壊して、自分のより良い形の世界を創造するというのが信長のポリシーなので、そんな彼に対して権威や歴史を重んじる公家たちは快くは思わなかったでしょう。
信長の部下の中で、公家たちに一番太いパイプを持っていたのが光秀でした。光秀は彼らの代行となって、自分たちの制御が効かなくなる前に信長を葬らせたという説もあります。

その三 信長に変わって天下を取ろうとした説

信長に変わって天下を取ろうとした可能性も指摘されています。時代は戦国時代です。誰しもが天下というものに野心があっても不思議ではありません。信長は強者としてカリスマがありましたが、その分、恐怖政治をしたことも否めません。光秀は一向一揆や比叡山焼き討ちに反対したとされる記録があるため、自身の国作りとはという考え方に信長とは相違があって、この本能寺の変で爆発したのかなと僕自身は思っています。

●そもそも織田信長はなぜ本能寺に泊まっていたのか?

なぜ、そもそも織田信長は本能寺に泊まっていたのか?

それは今でいう山口県や、鳥取県、広島県など中国地方を手中に納めていた毛利と秀吉の戦いに加勢するためとなっていました。信長は、光秀に秀吉の手助けをするために合流してともに中国地方へいくという流れになっていたようです。

でもいくら周辺は敵勢力がいないとはいえ、家臣は少数で京都に泊まるなんてかなり無防備ですよね。先制攻撃を仕掛けた光秀が悪いとは思いますが、戦国の世に信長も信長だったのでは?と思うこともあります。


●一つ言えるのが明智光秀はすごく真面目な武将だった

光秀は、わかっているかぎり、斎藤道三、足利義昭、織田信長という名高い人たちの部下として一生を生きていきます。彼らの下である程度の役職で働くのはかなりの技量が問われると思います。それだけ優秀に仕事をこなせる存在だったのではないかと思います。

その中で天下をとる説はあまりにも低いのではないかと言われており、僕もそう思っています。きっと光秀の中にある葛藤や苦悩、そして個人的な野心よりも周囲の影響が光秀を本能寺の変に向かわせたのだろうなあと考えています。

歴史を勉強すると思うのが人の人生って本当に数奇な運命だなと歴史に名を残す方々を見ていると思わされます。




いいなと思ったら応援しよう!