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生と死の距離感

こんにちは。

最近は、仕事疲れだったり、いろいろな趣味や新たな仕事の開拓に明け暮れていたら、いつの間にか人生疲れが濃くなってしまいました。7月から9月まではかなり頑張れていたのですが、今は全然頑張れないなあという日々を送っています。だいぶ、疲れてしまい、ゆっくり休んでいます。
なんだか今まで自分を引っ張っていた紐がプツンと切れてしまったような無力感というか虚脱感を感じています。
それはなかなか未来が上手く決められないモヤモヤした気持ちにずっといるからです。そのモヤモヤの中で、「生」が感じられない分、「死」という意味合いを強く感じすぎているような気さえします。

僕は、ある程度の収入があって、なんか趣味がてら副業をしたり、たまにふらっと旅行に行けていろいろな場所を巡って美味しいものを食べたり、大好きな人と暮らせれば人生ってかなりの幸せじゃないか?と思っているのですが、その普通を叶えるのがなかなか難しいなと感じる毎日です。

叶えたら「生」を感じるのかはわかりません。でも、最近はあんまり生きて良いという心地がしなくなっているのも事実です。だからちょっとこういうことを言うと各所から怒られるのかなと思うのですが、別に無理に努力をして幸せを求めるとかして頑張って生きていなくてもいいのではないかと最近、考えてしまうのです。それは別に適当に生きるのもよしだし、めちゃくちゃ頑張って生きるのもいいし、もちろん憚れるけれども、死ぬのもいいかもしれないということです。

それは今、生きている僕らにとって「生きる」という意味がなかなか実感できないというか遠い浮世絵のような解離を覚えるからだと思います。

昔は、家族や村、町で小さなコミュニティで暮らすことが大体の人々の日課でした。それに戦争、厄災などが降りかかってくる中で、生きる!っということに全員で必死になれる時代だったんだろうなあと思います。

その中で完成されていない世界の中に、自分の生きるという証をなんとなく残しやすかったし、戦後なんかはすごくこれからは素晴らしい平和の世が訪れるんだという希望に満ちていたと思います。

けれども今、僕たちに見えている困難や日々の生活は、僕らにはどうしようもないくらいに離れていて、一見、平和に見えるけれども、自分の周囲を離れた遠いどこかで刻々と見えない危機が平和に見える世界に迫っているようなそんな気さえします。

地球の観点から言えば、自然を破壊しているのは人間だし、地球温暖化や森林の減少などいろいろな環境問題が今、世界中で起きていますが、それは人間が人間で首を絞めてしまっている部分が大きいです。人間自体は、別に地球に歓迎されている気がしません。

日本社会は人生、100年時代と言われていますが、老後にしたがってお金を蓄えなければ生きていけません。長生きできてよかったねっていう割りには、未来が保証されていないという現実を感じています。生きるって本当に良いことなんだろうか?と。

それに蓄えて生きていかねばならないと言っておきながら、今、僕らの労働は、正社員、契約社員、パート、アルバイトなどたくさんの区切りの中で格差が生まれています。頑張っていれば、年を取れば出世できるというシステムは、なくなりつつあるし、あっても一部の人しか恩恵を受けれていないなあと感じるのが実感です。

さらにネットワーク発達してSNSいう繋がりが生まれました。SNSは今の現代にとって大事なツールですが、コミュニケーションが多様化した現代において、少しのズレで人との信頼関係がすぐに壊れたりすることがなんとなく容易に起きやすくなったような気もします。遠くの人と繋がれる分、近くにいたはずの人が実は全然遠かったということも少なくありません。

そんな未来の危うい世界の中で僕らは生きています。
こんな世界で、次世代の子供達を育てていっていいのだろうか?とかいろいろ思ってしまいます。
未来が不安なのに、不用意に未来を託せはしないし、自分の未来ですら、どれだけ理想を描けとか、芯が大事だと言ったとて、生きていける気がし辛い世の中だからこそ自死を選ぶ人も多いのかなと思います。生きてほしい、そう言う割に、世界は僕らを否定している気しかしない気がするのです。

総じて思うに、昔は死というものが本当に近かったから、ちゃんとそれに向き合って生きる意味とか生きることを精一杯向き合う人が多かったんだろうなと思っています。隣の死や生を感じながら人生とは何かと向き合えた。
でも今は医療や社会の発達で、「死」というものが遠いなあと感じるのです。遠いから良いかと思えば、そうじゃない。
「死」が身近に近くにあって初めて、「生」というものが実感できるのかなってふと思いました。

別に昔みたいな混乱期に世の中があればいいとかそう言うわけではないけれど、こんなにも守られている社会なのになんだか今を生きるっていろいろな希望や幸福がなんなのかをわざわざ考えたりかき集めて行かなければ生きられない社会にすごく行きづらさを感じます。

とくにこの文章で僕は今もこれからもぐるぐると頭の中を巡らすであろうことを書いています。僕なりの結論は未だありません。

ただこれからも、生きられなかった命と残された命と、そして僕に何ができるのかをずっと生き続けるかぎり考えていくでしょう。

「生」と「死」を意識しながら。




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