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視点を教えてもらう!という考え
最近、思うに歳を重ねていくと人は自分の考えに固執してしまう人が多いような気がする。
頑固な性格な人は特にそうかもしれない。僕も同じように頑固だ。
僕は今、関わらせてもらっている職場の方は年配の方が多いということもあるし、今までアルバイトも含めて十社近い会社で仕事をさせてもらっていると人それぞれに「俺はこうこうこうしたい」とか「私はこうこうこうしたい」とかそれぞれのプライドが合わさって日々の仕事も上手くいかないことが多いなあと痛感することがある。特にお年寄りの方や頑固な人は、自分が今まで生きてきたという自負が強いのか、それとも僕のような若造には言われたくないと思っているのかとても自分の考えを曲げない人も多い。
確かに自分の確固たるプライドや考えの軸を持つことは大事だけども、それを押し通すだけじゃダメなんじゃないかなとふと思った。
それは、この間、ダンボールの積み方で職場のおじさんの指導を受けたことだ。最初はそんなことでいちいち言わなくてもいいじゃないか。そんな風に思っていた。しかし、おじさんは最後に、「このダンボールをいつも片付けている人、怒りながらやってる時もあるんだよ。だからちゃんとしたいよね」っという話を言ってくれて自分の見えていないところで誰かが苦労していることに改めて気づいた。
また僕の好きな漫画に出てくる言葉でこんな言葉がある。
「ワシらは全治全能じゃない。(中略)だからこそ八百万(やおよろず)もおるんじゃ」
ノラガミという漫画で神様の大国主が言うセリフ。
神様が主体となっている物語なので、神様が言った言葉だ。しかし、これは僕ら人間にも十分、当てはまる言葉だと思う。
僕は常々、いろいろな人にはいろいろな人の考え方があると思って日々を過ごしてきた。
それぞれの人の中にはそれぞれの世界があると。
その世界があるからこそ、またそれぞれに力があってこそ世界は回るんだな。お互い、どこかで助けられてるんだなあと改めて職場のおじさんに教えられた時にこの言葉を思い出した。
そんな考えをいつしか忘れかけていたかもしれない。
自分の考えを持つことは悪いことじゃないけれども、押し付けることはいけないと思う。また逆に言うともっと自分の考え方を育てなくちゃならない。そう思った。
だからこそ、僕以外の人が思っていること、感じていることを教えてもらうことは自分にはない価値観を教えてくれることなんだなと思った。
「誰かから自分の見えない視点を教えてもらう!」
というこの考え。これはとてもありがたいことで大事なことだ。
これからもこの考えを大切にして、自分の考えを育てて生きたいと思う。