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冬の嘴は


土はつつくためにあるのだと言っているようだ。

体に比べて随分と小さな頭を地面に振り下ろし振り下ろししながら、一歩一歩進む。時間を忘れてつついている。
土ばかり見ている。夏の草がそのまま枯れ草になった手入れの足りない庭の土。

エゴの木から落ちた小さな実がお目当てなのか。まだ芽出しの気配すら感じられないその乾いた木のあし下で、つつけるだけつつけとばかりに、頭を振り下ろす。

それとも夏に陽を避けるのに活躍したゴーヤの種がお目当てか。夏の間わたしは、屋内でその蔓や葉の恩恵を受けた。緑に覆われた窓からは、差し込む光が少なくなる。
ただ、わたしは実をいただくことはできなかった。
食べ頃を過ぎたゴーヤの実は、窓の外の蔓にぶら下がったまま黄色くなり、弾けた。種はこちらがぎくっとするほど赤かった。
ぴかりぴかりと話す艶やかな赤は、土に落ちたあと毎日の陽の光と幾度もの雨と、小さな生き物たちに、乾いたシワシワの小さな粒にされて物言わなくなっていた。
今小さな頭が振り下ろされたあの辺りは、涼しくなった頃にわたしが窓辺から払ったゴーヤの蔓をそのまま放っておいた場所だ。頭を振り下ろしつついた先には、あのシワシワの種があるのかもしれない。

芥子粒ほどの大きさしかないであろう夏草の種も、手入れの足りないこの庭には豊富に落ちている。どこを歩いても、どこをつついても収穫がある土。つつくためにある土をつつく。


それほど収穫があるのなら、明日も来るがよい。いや来ておくれ。
どこからかここまでやって来て「土をつつつけ」と無心につつつがいのお前たちを見るのが楽しいのだよ。





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くろいるすけ
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