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「詩」の言葉には重量を感じる|雑感
もしくは
作った文章の言葉が重いと「詩」と呼びたくなる
ここでいう重量とは、文章の内容について言っているのではありません。
その言葉のもつ重さのことです。
単語そのものの重量感といえばよいでしょうか。
ふと思ったことをつらつらと書きます。
考えを整理しながら今の感覚を残しておきたいと思います。
たとえば、
日記やエッセイの中に表れる「窓」と
詩もしくは詩と呼びたくなる文章に表れる「窓」は
重さが違うと思うのです。
以下に例を示します。こんな感じです。
(「エッセイとか詩とか、
書き分けられていないぞ」
というご指摘もあろうかと思いますが、
ご容赦を。)
◯月◯日
今日もいい朝。昨夜のことは忘れよう。あんなの本心じゃないだろうし。
この窓から見える景色は、昨日の朝とは何も変わらない。
朝からもう6時間はパソコンに向かい続けている。時間に見合っただけの成果が出ていないのが少し気掛かりだ。いっそのこと、コーヒーを飲みながら窓の外でもぼんやりと眺めてやろうじゃないか。
ここに感じるのは
わたしの窓
まだ開け方を知らないけれど
そのときが来たならば
きっと
「窓」という言葉の重量が異なる気がしませんか。
「そんな感じしないなぁ」と言われると
「うぐぐぅ・・・」と喉を鳴らしてお終いです。
ここは強引に
重量を感じるものとして、話を進めます。
重量感の差は、書き手に依るもの
ということが考えられます。
つまり
・わたしが書くと詩に重みがでる
・誰か別人が書くと、エッセイや日記の「窓」に重みがでる
ということです。
残念ながら、ここでは確認できません。わたしは、これからいろいろな人の文章を読むとき気に留めておくことにします。
備忘:わたし自身が気負って「詩」を書いてるから重みがつくのでしょうか。(気負うと重量が出る説もあり得る?)
ここからは、わたしの体感です。
重量は、その言葉を選ぶために使った時間が反映されているのではないか、ということ。
日記やエッセイの中の「窓」は、事実や存在を表しているので「窓」という言葉を選ばざるを得ない。だから言葉の選択に時間はあまり必要ない。
詩の「窓」は象徴的なものだから、代わりに「扉」でもいいかもしれないし「オペラグラス」でもいいのかもしれない。自分の表現したいことに一番似つかわしいものを選びたいから、考える。数秒なのかそれ未満か、または数日なのかもしれない。
いずれにしろその言葉を選ぶのに時間をかける。
これと同じように
詩では読み手にも言葉の意味を考える時間が要る。
上の例で言えば「窓」って何を表すのか読み取ろうとする時間。
このように
言葉にかけられた時間の分だけ重量を感じるのかもしれない、と思いました。
そんなことってあるのかなぁ。
言葉に対する感覚っておもしろいですね。
今まで文章を書いてこなかったことを
(もったいなかったかな)と
思い始めています。楽しすぎて。
最後に、小説に関して書いていないのは
単にわたしがこれを書けないので、実感がないためです。
今日は、ここまでです。
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