花束みたいな恋をした
花束みたいな恋をした。ネタバレありの感想です。
甘ったるい、見ててちょっと恥ずかしくなるような、でも恋っていいよね、みたいな映画を見たかった。
普段は恥ずかしくなっちゃって、ていうか元気を他人の恋愛で摂取することをあまりしてこなかったのだが、今日は長きにわたる、いやほんとうに長かったテスト期間の最終日だったので、今ならいける、と思ったのだ。この上昇気流ならどんな空でも飛べる、そう思った。
あとは単に遠距離中の恋人が恋しかった。
そういうわけで、
花束みたいな恋を見た。
花束みたいな恋だった、かもしれない。
そもそも私はああいう恋をしないので、こういう恋のかたちもあるんだな、と思ったが、いつ枯れてもおかしくない恋のかたちであって、見てて「そのままでだいじょうぶ……?」とひやひやしたものだった。
まず冒頭がいちばん驚いた。
楽しげな、イヤホンのLとRを分け合って音楽をカフェで共有するふたりに対して、未来の主人公たちはそれぞれに「あの子たち、音楽のこと好きじゃないよ」と指摘しあう。音楽というのはLとR両耳で聴いて初めて成立するものなのだから、と。なんなら教えてあげようかな? とさえいい、立ち上がって指摘しようとする。私はもう無理だった。
いやいやいやいやたしかに言いたいことはわかるよステレオできかないと再現されない、欠落した音が生まれてしまうことはわかる、わかるよ、でもそれを見ず知らずの人へ押し付けるのはどうなん?? そういうの、水をさすって言うのでは???? この人たちはいったいどういう生活を送っているんだ、と序盤から戦々恐々とした心持ちになった。
時はさかのぼり、彼彼女らの出会いを描き出す。
ばったりと出会うものの、出会ったことが必然であるかのような噛み合い方をする麦と絹。
ふたりは同じ世界を共有していた。
通ってきた、持ち歩いてきた本が同じ、身につけるものが同系統色、持ち歩くバッグがうっかり同じ、カラオケでも当然示し合わせてきたかのようにデュエットできる。
こわかった〜〜〜〜〜
あまりにもふたりが「おなじ」であることが強調され、それを楔にしてよりふたりは惹かれ合う。
わからねぇ〜〜〜〜〜
だってふたり、靴まで一緒だったんだ。
こわいよ。
ふたりの「おなじ」ところは何度も描かれたけど、ふたりのどこがどう「ちがう」のかはほぼ描かれなかった。あったとしても、そこへの思いは恋の情勢になんの影響力もないし、そもそも表に出てこない。
ひとの恋のスタンスにどうこう言いたくはないが、ちょっと自分のそれとは真反対だったのでびっくりしていた。
ひととひとが同じであるはずがないと思っているので、どちらかというと私の知らない世界の話をしてくれる人のことを好きになることが多かったから。
ふたりの恋がこれからどうなっていくのかこわかった。
その恋は、どこかに、あるいはいずれ訪れるであろう「ちがい」に対してひどく脆いのではないだろうかと。
たとえ今はよかったとしても、これからの変化にいったいこの花はどう散らされてしまうのか、とてもこわかった。画面のふたりがとても楽しそうであればあるほど。
おなじであった二人を動かしたのは時間であった。
現実、とか言うのかもしれないけれど。
働かなければ生きていけない、その社会の論理の前にふたりは共通の世界としていたカルチャー以外に、働くという世界を持ちはじめる。
仕事にのめり込み、どんどん時間がなくなり、追い詰められていく麦。
一方好きなものは好きなままに、変わらず好きなひとと共有したいと思っている絹。
どんどんどんどんふたりの言葉は熱を失い、お互いへ届かなくなっていく。
おなじ言葉では、なくなっていく。
喧嘩の描き方が、昔わたしもよくやっていたやり方でこわかった。
ああいうのしちゃうよな、と思ってみていたけど改めて客観視すると辛かった。
だいじょうぶ、といいつつ全然だいじょうぶじゃない絹。
焦って言葉を重ねてどんどん失言していく麦。
こんなくだらないことで喧嘩したいわけではないのに、でもこの思いは裏腹に不満を募らせていく。
あの袋小路に陥っていくような、考えれば考えるほどたどり着きたいゴールからは遠ざかっていくような離れ方はとても苦しかった。
もうなにも言葉を交わさずに、せめて抱き合って眠ってくれたら、いくらか通じるものがあるんじゃないかと、祈りに近い思いがあった。
やがて不満は実を結び、花はこぼれていった。
別れ話のシーンはぼろぼろ泣いた、花が咲き誇っていた頃の二人は、まるで誰かの夢なのかと思うほど暖かくて無邪気で、私の記憶も揺り動かされるものだったから。
別れたくない、と言いながら別れ話をする麦を見ながらわたしも別れないで、と泣いていた。
たとえどんなに私とは違う恋の育て方をしていたとしても、ふたりにとっては紛うことなく運命で、4年間の思いがあり、それをわたしは見てきたのだから。
終わってほしくなかった。
しかし映画は、私の願いには答えてくれなかった。
しばらくしてふたりはそれぞれデート中に出くわすのだが、ふたりの中でお互いの存在はきれいに思い出になっているかのようだった。
楽しかったことだけを、押し花のように保存したのだろうか。
あんな風に割り切れることも私にはあまりわからないことだったので、なんだったのだろう、と呆然とした。
終わってしまった恋を、共通の花の思い出を胸にもつ二人。
それはああやってきれいに手を振れるものなのだろうか。
そこまでの過程を示してほしかったな、と思う。
麦と絹がそれぞれ、どのようにお互いの4年間を抱いていったのか、解釈したのか、違いを昇華したのか。
それが見えなかったから、ほんとうに花の一生だけを投げられたみたいだった。
わたしは、その花を解釈して意味づけする人の話のほうが気になってしまう。