名もなき病(やまい) №1
「かあさんが二人目を産んでびっくりしたよ。」
軽く笑いながら、義父は私の方を見て言った。
まだ産後休暇中。
里帰りが終わって婚家での生活が再開したばかり。
義父母と自分の昼食を準備して、寝ている乳児を起こさぬようそっと二人を呼ぶ。
そして静かにゆっくりと食事が始まって、しばらくしてのことだった。
「ふふふ。」
軽く笑いながら義父がこちらをむいて、私の表情を読むように言った。
「かあさんが…。」
義父は私の事を「かあさん」と呼ぶ。
今保育園に行っている三歳の長女が生まれてから、私の呼び名は「かあさん」になった。
その前は義母が「かあさん」だった。
義父が呼びかけた相手は私だったのか?
隣の席の義母を見ると、何も言わずうつむいてもくもくと箸を進めている。
いや、確認しなくても「かあさん」は私だ。
もう三年も私はこの家で「かあさん」をしている。
それに義父の視線は明らかに私に向けられている。
「二人目」とは、リビングで熟睡中の二女の事だろう。
そこまではすぐ理解できた。
しかしその後の言葉の意味が、なかなか頭に入ってこない。
「産んでびっくりした」
「産んでびっくりした」
頭の中で反芻してみる。
そして確認の意味で義父の顔をもう一度見た。
長女、次女とも妊娠出産時のトラブルは何度もあった。
入退院を繰り返し、二人とも予定日より1か月早く産んだ。
無事に生まれて欲しいと願わない日はなかった。
そういう意味で義父が驚いたのかと思った。
いや、思いたかった。
そうであればいいと思ったから、確認で義父の顔を二度見たのだ。
残暑で室内の気温は高く、背中はじわりと汗ばんでいたが、胃のあたりが固く冷たく感じた。
口の中で噛みしめていた料理は、夜泣きの寝不足を堪えて高齢の義父母の為に作ったメニューだったが、何を噛んでいるのか分からなくなるほど、何の味もしなくなっていた。
義父は耳が遠い。
そのせいで少しおかしな言動も目に付くようになってきていた。
単に会話が食い違うだけではなく、考えや記憶が事実と違うことが多くなってきていた。
そういう点を割り引いて考えなければならない時、私は義母の様子を伺う。
義父の言葉に義母がどう反応するか。
耳も頭も健康な義母が、それを肯定するか否定するか…。
視界の端に義母の横顔が入った。
さっき見たのと変わらずに、無表情で口を動かしている。
義父は、何も言わない私にもう興味がなくなったのか、鼻からふふんと軽く息を吐き、食事を再開した。
二人の料理を噛みしめる音が耳触りに感じた。
それ以上座っていることが耐えがたく、食器を重ねて流しに持っていった。
「後で洗いに来ますので、食べたら置いておいてください。」
そう言って台所を出た。
精一杯息を整えて言ったつもりだったが、少し声が震えていた。
リビングに戻り、寝ている二女の頬を撫でようとしてやめた。
宙に浮いた手を、そっと引き戻して自分の額に当てると深い息が漏れた。
義父は直接私に伝えた。
義母は無言で同意した。
「二人目の孫はいらなかった。」
と…。