見出し画像

リスナーとして様々な音楽遍歴を経てもなお、現在まで折につけ聴いてきた松任谷由実ことユーミンの作品について2

いきなり「おい!」と突っ込みがありそうですが、前回、今は荒井時代は興味ないと散々書いておきながら、今回は荒井時代中心の内容になります。
というのも、今後述べる予定の松任谷時代について荒井時代との連続性のある内容もあるので、前提として知ってもらっておくのが良いかなと思ってのことですが、よくあるキャラメルママとの関係性などよりは少し別の視点からの派生した内容になるかと思います。

今回注目するのは名曲「中央フリーウェイ」を収録した荒井時代4作目にして最終作の『十四番目の月』です。

本作は『コバルトアワー』の煌びやかな作風とは対照的で、またそれまでの作品とはやや異なる印象を持っていたのですが、改めて調べてみると意外な事実を知ることに。
いや、フリークだ、ファンだなどといいながら、お前そんなことも知らなかったのかと言われたら、返すことばはないですが…
それはさておき、そもそも『十四番目の月』はプロデュースが前三作までのアルファチームから松任谷正隆に代わったのが大きいと思うのですが、注目すべきはリズムセクションが外国人セッションプレイヤーに代わっていたこと。そう、ドラムは林立夫ではなく、荒井作品のキーマンといえる細野晴臣はベースを弾いていないことに気づいたのでした。
なお、細野は代わりにスチールパンをプレイしていて、彼の所謂チャンキーミュージックからYMOに向かう遍歴を知る上では興味深いところではあります。
以前より感じていましたが、本作はしんみりとした歌ものが多い印象(『コバルトアワー』も半分はしんみりした曲ですが、作品コンセプトのイメージとして内省的で私小説的な意味で)のほか、アルバムタイトル曲など特にアップテンポでキャッチーな曲ではリズムセクションにおいて前三作までに聴かれたグルーヴよりジャストなタイム感を強く感じていました。
とはいえ、ある意味当時のロックポップスではその方がなじみが良かったともいえそうだし(ファンキーなグルーヴは歌謡界で隆盛だった)、カリプソソングの「避暑地の出来事」やしんみりながらシャッフルビートでシンコペーションが印象的な「さみしさのゆくえ」はある種異色でアルバムトータルからはやや浮いているような気もしていました。
一方では「中央フリーウェイ」など当時は相当先端的な曲だったのではないかと思いますが、ベースのフレーズさばきは今聴いても斬新です。

その上で気になったリズムセクション、特にそれまでの"荒井"ユーミンサウンドの肝だったベースに起用されていたのがリーランド・スクラー(Leland Sklar)。彼はジェイムス・テイラー(James Taylor)の作品やツアーバンドのメンバーとして特に知られていたようで、80年代以降はAORやジャズ・フュージョンの分野で特に活躍していたようですが、初期キャロル・キング(Carole King)作品のキーマンでもあったダニー・コーチマー(Danny Kortchmar)らと組んでいたThe Sectionというバンドがあります。

当時としては先鋭的なクロスオーバー・ジャズロックセッション作品を発表していて、業界では話題になったそうで、時期的に松任谷正隆はそれを聴いて起用したのではないかと想像するのですが。
また、何かの書かブログかで読んだのですが彼は元来ロックポップス好みでプログレハードなども聴いていたとかで、細野らの好んだファンキーミュージックやエキゾサウンドとは違う方向性を目指していたのではと思わせたりもします。
更に言えば、同時期携わっていたガロの作品『吟遊詩人』などを聴けば、プログレ的展開やコーラスワークのセンスもうかがえます。
果たしてどうだったのでしょうか。

後の松任谷時代の作品に全面的に関わっていくことになる、松任谷正隆の音楽背景は松任谷時代のユーミン作品を探る上では重要なファクターであるとことは論を待たないところです。

いいなと思ったら応援しよう!