新たな門出「 #エルぽきラストワンマン 」でみせられた、自分の中にあったVtuberとの隔たりの崩壊
先に断っておくと、関係各位に無許可で勝手に書いてるライブの感想記事です。
どこかから怒られたら消えますので、ご留意ください。
いちファンではありますが、責任を負ってるいちスタッフという自覚もあるので、消えるようなことになったらすみません。
記事が消えたら、皆さんも記憶から消してくださると助かります。
先に、最近の話
エルぽきのMV、Atlanticusから丸2年出てませんが、単に自分が別件などで手が進んでないのが現状ですという謝罪からスタートしておきます。
すみません……
今回のライブで裏方してた通り、別にスタジオとなんかあったとかではないと(黒井側は)思ってるので、単に忙しいです。
黒井の大好物「現実とバーチャルの狭間のような表現」
旧Twitterのプロフにも書いてますが、「キャラクター主体の実写合成映像が好き」なんですが、この根底にあるのは「現実世界と、存在しないバーチャルな世界を、地続きにしてしまう」という表現を元にして「そこにいるのは確かで実感をもてるのに、手が届かない切なさと、でもその後にあるハッピーな気持ち」みたいなのを感じれるのが好きなんだなって改めて思ってます。
多分この癖の一番発端は、中学生の時に読んだ小説版「エウレカセブン」(アニメ原作のラノベ、杉原智則さん著)のラストシーンというか、ラスト数ページが好きすぎるからなんだろうなって。(具体的にどういう描写かはネタバレが嫌なので、ぜひ最終巻だけでも読んでほしい)
いまだに自分のアイデンティティを築き上げてしまった作品を、20年近く引きずってるおじさんになってますが、多分創作ってそういうものだよなと思います。
なんで、その癖を引き合いに出したかというと、今回のライブを振り返ってみると自分はすごくそこに感動をしていたなと。
エルぽきの活動6年のうち4年を一緒に何かしらやらせてもらってきたから余計に「境界が曖昧になっていく」という感覚が強くて、切なさと多幸感が入り混じっていたんだろうなと思います。
ぶっちゃけ、M2のAtlanticusの時点で「俺がMV作った曲でみんなが沸いてくれてるし、生歌・生バンドで聴けてる〜!」ってオペしながらボロ泣きしてました。
(隣の席でオペしてたモァイくん、気持ち悪いオタクが隣でずっと泣いててごめん)
Vtuberで行うメタフィクションなライブ
ライブを見た人・ぽきさんの解説記事を読んだ人はわかると思いますが、ライブ演出・物語の構造として「メタフィクション」的なジャンルに分類できそうなものがすごく多かったです。
※メタフィクションとは、創作物の中の世界で「ここが創作物である」と認識しているような振る舞い・表現を概ね指しています。
「MCに見せかけたリハーサル風VTR」しかり、「実際のスタジオを使ったストーリー映像」しかり、そこまでの物語を踏まえた「世界をひとつに」という願い(個人的な拡大解釈として「物語」と「Vtuberとしての建前」と「現実世界の『魂』」の三つを統合することだと思ってる)しかり、6年積み上げた文脈全てで「メタフィクション」を全力でやってきてるなーと感じてました。
Vtuberと視聴者の間にある「壁」
昨今のインディーゲームでよく使われるメタフィクション演出のひとつに「第四の壁を超える」という表現ものがあります。(具体的な作品名はネタバレ防止のために上げないですが、軽く調べるだけでも多く出てきます。どうしても個別具体のタイトル気になる人は、旧Twitterとかでリプください)
「第四の壁」はもともとは演劇用語で、舞台の三方の実際の囲みとは別に、客席側にも壁があるかのように、観客に気がつかないかのように演技しなければならないことを「見えない壁があるよう」ということで「第四の壁」と呼ぶようになったそうです。
昨今の演劇では観客を巻き込む演出も少なくないので、もっぱら創作全般における「創作内の世界」と「受容する側の世界」の間にある隔たりをそう呼ぶことが多いです。
ゲームにおいては、ゲーム内のNPCがプレイヤーが操作するキャラクターではなく、画面越しのプレイヤー本人に何らかの形で働きかけてくるものをそう呼びがちで、古くはゲームキャラがプレイヤー指定の電話番号に実際に電話をしてくれる(録音が流れるだけ)みたいなのもそうだとか。
Vtuberにおいては、タレント・演者さんと視聴者・ファンの間にはコミュニケーションがあり、第四の壁はないように自分はずっと感じてきてました。(そもそもそういう構造ができるコンテンツだと認識してなかった感がある)
それが、6年間の文脈を通じて、無意識あった壁のようなものを「世界をひとつに」という願いによってぶち壊された感覚があり「やられた!!」とオペしながらなってました。
多分エルぽきだけじゃなく、多くのVtuberにあったであろうその壁を、今回の演出を通してライブの一体感という構造をとることでぶち壊された感がありました。
この時点で「そこにいるのは確かで実感をもてるのに、手が届かない切なさと、でもその後にあるハッピーな気持ち」という黒井の好みの構造式がライブで出来上がっていました。
まさか、自分の癖ドンピシャの構造を、映像作品でもゲームでも小説でもなく、「生バンドの音楽ライブ」でやられるとは思ってなかった。
全く想像だにしてなかったし、今までVtuberライブも、バンドライブも何度も足を運んだことがありましたが、エルぽきで自分にとって「癖ど真ん中の、新しい感覚」をぶち込まれるとは正直に思ってなかったです。
そこに「小さいかもだけど、自分がこの文脈の一端を担えた」というスパイスがまぁ涙腺にいい感じに刺さること……
忘れちゃいけない、これらを背負う一人の存在を
そして触れ忘れちゃいけない、エルセさんの歌。
これだけの文脈を背負って、なお覚悟を持ってしっかり歌われている姿に、いちスタッフとしても、いちファンとしても、惚れ直しました。
「まぼろし」の制作時に初めてお会いしたころから、すっかり立派になられて......という親戚の謎おじさん視点に勝手になって、また涙腺死んでました。
全ての曲が良かったと同時に、個別具体にどの曲が〜というのはスタッフとして「偏った視点」が入りそうなので言えないですが、あの頃と比べても数段素晴らしかったです。
最後に
エルぽき・プロブルでは自分はファン1年、裏方4年の付き合いですが、それだけの時間がなくとも感じるものがあったであろうと思うえる、本当に素晴らしいライブでした。
大きいイベントごとに呼ばれては、何故か他スタッフにも、エルセさん・ぽきさんにも「黒井さんは大体どこのセクションもできるし、そのセクションのことは安心できる!!」と言ってもらえて毎回ちょっとずつ違う担当箇所を任せていただきありがたいかぎりです。(黒井本人が一番その自覚がなくて、毎回心臓バクバクでオペしてるんですが...w)
今回もそう言ってもらえる信頼が嬉しいのもありつつ、今まで書いてきたこともあり、爆泣き・鼻すすりながらオペしてましたが、安心して任せていただけてたなら良かったです。
この半年ほどいろんなタスクでバタバタしてましたが、この1ヶ月ぐらいで自分個人がそのタスクとして仕込んでいたものが全部放出されて、その概ね最後がこのライブでした。
終わって改めて思いますが、「クリエイティブをすることにリスペクトを感じて、それをする自分にも自信を持てれば、行動にも現れて結果となる」というのをしみじみ再確認することができました。
再確認をできたこのライブは、向こう何年か自分にとっての「作品づくりって何だっけ?」という常日頃の問いかけの答えや、気持ちの支えの部分にこのライブがずっといてくれそうだなと感じてます。それぐらい良いライブでした。
本当に「ライブ、お疲れ様でした!」
「これからも、よろしくお願いします!!」
追記
エルぽきを知ったきっかけの、知り合いだけでパセラで6時間ぐらいやった「Vtuberの推しをプレゼンする会」の写真でてきた
この時、エルぽきを教えてくれたいいもさん、ありがとう。