時と踊れば


白か黒かに分けたくなるときもあるけれど、その間の明るさでどちらも繋がっていたことを無かったことにしてしまうのはなんだかもったいないような気がする。

あそこからここまでのグラデーションが続いてきたから、寂しくはない、と言える日が来るのかもしれない。

どこにいたって、どこにいったって繋がっている。地続き。そういう生き物だからってささやかな理由だけれど、ささやかなそれが軸の一部を担っていたりする。

忘れがちになる。
瞬き一つして、一秒を食む。
記憶が遠のく。
忘却曲線の端にあった虹の色も曖昧に。


忘れて、思い出して。
思い出してまた、忘れて、思い出す。
繰り返してグラデーションは存在を濃くしていくから、これはこれで良いのかもしれない。

ただ、無くした時にも。
時間は無情でも平等、厳しくも優しくて
触れようとしなければそれは感じられなくて。


優しく、瞬きをしていよう。

花じゃなくて良い、花火みたいじゃなくても良い。雪のように儚くなくても良い。
この手の、熱のとおりにいよう。

これ以上無いくらいに悲しくなっても、これ以上無いくらいに幸せになってしまっても、そこで息を止めないように、それだけ、続けて
それだけで十分。きっと。

そうすれば生まれ続ける。
生み出し続ければ、どこかで、必ず交わる。
どの色だって肯定したい。

いろんな色の花が咲く花畑のようにも
コンクリートの影に咲く一輪のようにも
どれにだってちゃんと役割はあって
どれだって、その熱の正しさを持っている。


受け入れられなくても、受け止めることくらいできればなぁ。
抱きしめなくてもいい、眼の前に存在していることだけ、認め合えたらいい。

多くなんて望めば、首を絞め合うだけになるのなら
優しくいられる方がいいなと思う。

季節。
夏の次は秋、秋の次は冬、冬の次は春。
順繰り、順繰りと一年。一年が回れば新年。

楽しいこと考えよう。

眠ればまた明日。

ちょっとしたことを
ちょっとずつ続けて、一年前が今日。

そんな風に、ゆっくり許していったらいい。
時間も、味方になってくれるときはあるから。