見出し画像

ある週末サーファーの記録046 オーシャンシティ 6 完

 ぶつかってきたのはアメリカでは普通サイズ、日本では特大サイズのトレーラーだった。高速道路でトレーラーに追突される。低速ではあったがそれはそこそこの確率で大怪我、最悪の場合命を落としかねない状況だった。

 私自身にかすり傷一つなかったのには二つの偶然が関係していると思う。一つは衝突の瞬間私が思い切り加速して衝撃を逃したこと。もう一つはトレーラーの運転手がハンドルを右に切ってくれたことだ。私が背後から迫り来るトレーラーに気付かずブレーキをかけたままであったら・・。トレーラーの彼が真っ直ぐ私に突っ込んで来ていたら・・。何度思い返してみても背筋が寒くなる。

 警察の到着を待っている間、運転手と少し会話をした。彼がプエルトリコ出身であること、小さな運送会社の運転手としてアメリカ北部からテキサスに向かっているところだったこと、トレーラーの運転手は家族と離れ離れのタフな仕事だということなど。

 よく晴れてポカポカと暖かい日だった。路肩に停まる2台の横を渋滞の車列がゆっくりと過ぎていく。

 30分ほど待っただろうか。警察官がやってきた。さらに30分ほどかかって警察官が淡々と事故の調書を作成し、その場はお開きとなった。警察官はトラックの運転手に違反切符のようなものを渡していた。ガードレールの修理代の請求だろうか。警察官から「自走可能か?」と聞かれたのでエンジンをかけてみた。いつもどおりかかり、警告灯もついていなかったので「そう思う」と答えた。

 警察官が去った後、レッカー車の到着を待つプエルトリコの彼に別れを告げた。
 「今日はおれたちツイてなかったな。でも明日はきっとおれたちの日(our day)になるよ」
 私はそう言った。
 「ああ、そうだな・・。今日は悪かった」
 そう応じる彼と握手をして別れた。だいぶ芝居がかったやりとりで今思えば結構恥ずかしいが、この短時間で彼との間にかすかな友情みたいなものが芽生えていたような気がする。

 家まではまだ200kmほどあった。リアガラスはきれいに割れてそこだけオープンカー状態。バックドアとリアバンパーは大きくひしゃげていた。いつ運転に影響が出るかわからないが、行けるところまで行ってみようと思った。とにかくゆっくり時速60kmくらいで、徹底して一番右の車線の右寄りを走って無事家に着いた。荷台には割れたガラス片が満遍なく散乱していたが、サーフボードも無傷だった。

 事故に遭った不運を嘆くよりも怪我なく帰宅できた幸運に感謝した。

***

 オーシャンシティよりさらに南、ニュージャージー州の端にケープメイ(Cape May)という町がある。町外れにぽつんと立つ灯台がこの町のシンボルだ。白砂のだだっ広いビーチ。春から夏にかけてよく現れるイルカの群れ。ヨーロッパ風の可愛らしい商店街。朝食が美味しい海沿いのダイナー。そして穏やかで親切な人々とごくたまに割れるレフトの長い波。私も妻もこの長閑な海沿いの町を気に入っていた。

 アメリカには結局2年と少しいた。当初危ぶまれた週末のサーフィンも日本ほどの頻度ではなかったが、なんとか続けることができた。(その後交通事故にも遭わずにすんだ。)思いがけず、ニュージャージーを知り、オーシャンシティというホームポイントができ、ケープメイというお気に入りの町ができた。

 もし仮にもう一度ワシントンに転勤の命令が出たら、行くかどうかまた悩むのは間違いない。ただ、今もふとあの頃の生活を懐かしく思い出すこともある。

 アメリカを離れる前、最後に家族でもう一度ケープメイに行った。冬のケープメイには身が引き締まるような冷たく爽やかな空気が流れていた。澄み切った空気の中、青い空によく映える赤とベージュの灯台に「さようなら」を告げて、私たちはニュージャージーを後にした。

いいなと思ったら応援しよう!