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Vtuberに幻想を求めるのは間違っているだろうか

このnoteは、彼女バレ予行演習の翌日に書いている。
あと、中の人〜とかの話もチラッと出てくるので嫌な人はブラウザバックだ。あとキモいのでブラウザバックだ(雑喚起)



プロローグ


まず、私は卯月コウのただのファンで、ガチ恋ではない。強いていえば画面の向こうのオタク友達のように感じていた。

2021年に出会い、3年半くらい。全ての配信を追ってはおらず、見ない系統のは切り抜きで見る程度。
ファンになる前のアーカイブは気になるゲームと雑談くらい。
他のオタク活動はぼちぼち。ガチ勢ではない、だいぶライトってほどでもない、普通のファン。

でも私はコウ本人を見てはいなかったんだろうなぁと、思う。
困った時、どうしたらいいかわからない時、救いが欲しい時、何故か卯月コウの顔とかが浮かぶ。心の中で(コウ、どうしたらいい!?)と思う。でも想像の中のコウはあまり話さない。解像度が低いのだ。
でも多分狼狽える私も、気持ち悪いオタクの私も、コウはなんか面白がってくれるだろうとは思う。それだけでどこか救われて、深呼吸ができる。
辛いエピソードも「うわー!キツいなそれ」とか言って聞いてくれるだろう。

でも私は予行演習配信を見て、なんだかキツかった。私は祝えない、彼女持ちの卯月コウを。気持ちの整理もつかない、多分永遠に。卯月コウを聞いてると私の心の不幸な部分が露呈されるから、どれだけ幸せになっても恐らくそうだ。


何故だろう?考えてみた。

偶像化された卯月コウと本当のコウ

メタ的な話になる。コウ、コウの中の人はきっと恋愛経験はあると思っていた。そういう余裕みたいな物があるし、異性と話すのも上手くて慣れてる。
でも「卯月コウ」というキャラクターは、そこは全く触れず、なんとなく無いような設定でやっているのだと思った。
中学生、オタク。それだけで恋人がいる人はだいぶ限られてくるだろう。私の中学生時代も、ダンス部のイケイケの子しか恋人なんていなかった。
あと、卯月コウを知ったばかりの時に見た緑とのタイマンコラボで(話の流れだろ、ネタだろはそりゃそうなんだけど)「童帝だけど…」みたいなこと言ってて、あぁそういうキャラ付けなんだなぁと思った印象が強かった。

例えば私がずっとオタクやってきたソシャゲでは、過去の発言との食い違いは結構悪い意味で取り沙汰される。それで運営が文章を調整する、とかはたまにある。発言こそが本当で、それ以外の明言されていない部分は全てグレー。発言などからなる設定こそが正義なのだ。
だから卯月コウの童帝発言も、なんか、まぁ中学生だしそういうキャラでやってるのか、と思っていた。

でも、卯月コウも軍団も多分そうは思ってなく、普段の話す内容から滲み出る「恋愛経験はありそうだよな」「童帝ぽくはないよな」から「恋愛経験あるんかな」というのを読み取っていた。
私はその事実とコウの中の人を繋げてはいたが、卯月コウというキャラクターとは繋げていなかったんだ。


Vtuberを好きになる前は、「2次元のキャラの見た目があっても結局中の人が好きなんだろうな」という気持ちでいた。初めて好きになった時、キャラクタと中の人は別物だと思いつつも、そこそこしっかり重なっている部分もあると思った。
でもやはり私にとっては別で。都合のいい所だけを「キャラクター」として理想化しつつ見て、他は受け取っていなかったのだと思う。
彼の全ての発言は彼で、一人の人間なのだ。

不幸を求め


少し卯月コウとは離れるが、私は経験がないとか、そういう感情移入しやすく都合のいい設定ばかり拾ってしまう。男女問わず、恋愛経験が無いとか性経験が無いとか、1度でも明言したことある配信者しか応援できないキモ呪いにかかっているのだ。下ネタは大好きだけど、性経験のある人の下ネタは怖い。生々しい。友達のは面白いし楽しいけど、知らない人のは聞きたくない。
私のチャンネル登録欄で恋愛経験明言してるのなんて、スケベ大学学長岩永氏くらいかもしれない。
3次元のアイドルとかはいい。いや、まぁ、女子アイドルの過去の彼氏とかは本当にいないと思いたいけど。

でも2次元は、ネットは、私にとっては不幸自慢をする場なのだ。Twitterで、孤独の苦しみを綴ってた絵師さんが既婚者だった時も、推してた女装配信者が結婚を前提に付き合ってる人がいると話した時も、私はカスながら勝手に落ち込んでいた。おめでとう!とも、寂しいよ、とも送らず、静かにいいねをしてミュートしていた。
私も、Twitterには不幸を持ち寄りたい。健康診断で引っかかった、仕事行きたくない、そういうの。それで傷を舐め合いたい。
Vtuberだけじゃない、ネットの誰の幸せも私は祝えないんだろう。それが軍団の肯定的な人達との違い、なの、かも、しれ、ない…( ; ; )最悪だ…( ; ; )
でも友人に恋人出来たとかは泣くほど喜びますから(汚い自己保身)

でもやはり、この時も呟いたが一人の恋した人に受け入れられた経験のある人とない人は、明確な隔たりがあると思うのだ。だから卯月コウの「相手ができようと、昔のマインドはそう簡単には消えない、そのままだ」という物言いにはどこか納得すると同時に、何故か悔しく、反論したくなった。
オタク街コンに行ったことがある。そこで何回行っても誰からも相手にされず悲しむ、恋愛経験のほぼ無い人間を結構見てきた。その人らの悲しみは、その人らにしか無いはずだ。 


エピローグ


私にとっての卯月コウは2019ホワイトデーボイスの女装で止まっているのかもしれない。あまあまの卯月コウ。なんなんだよあれ(素)。でも最近はおりコウ以外はあまりボイスを出していないし、今年は誕生日ボイスも出さなかった(ボイス出さないライバーもいるのは、活動の自由を感じられてすごく安心するので嬉しい)。ボイスのような形で卯月コウのキャラクターを表現しきれないからか、全く別の理由なのか、わからないが。

でも…ボイスの話をすると、やはり、看取られたい。その時に、今の卯月コウで止まってしまうのは惜しい。もっと先まで、終わりまでいたい。そして最期にその話をしよう。夜中の病床で、薄い視界の中、カーテン脇に金髪のショタが立っていたら、きっと私は笑ってしまうだろう。


あと、誕生日配信で「また来年も祝えるように」と言ってくれて、本当に嬉しかった。
…誕生日タペストリーをポチッた。多分まだ好きだ。


これを私の彼女バレ予行演習のお便り(遅刻)とする。
推敲はまたいずれ

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