勉強が大嫌いだった私はなぜ勉強が好きになったのか
私は語学学習が趣味である。
もともと小さいころから英語が好きだったのだが、今の会社が外資系(正確には途中で外資になった)というのも相まって、英語の必要性も高まったのをモチベーションに日々コツコツと勉強している。
まぁ、もともとは勉強なんて大嫌いで、普段「勉強しろ」なんて言わない両親が、高校受験のときにあまりにも勉強しない私を見かねて、
「親を安心させるためにも、せめて机に向かえ!」
と言われ、机に向かってゲームボーイをやっていたぐらいの勉強嫌いであった。
それでも、言われたことは結構覚えている性格だったのが幸いして、授業だけは真面目に受けてたからか、成績は中の中であった。
話を戻そう。
外資となったうちの会社としても、外資のくせに英語が出来ない社員がゴロゴロしていたらマズいという危機感からか、ある時から毎年TOEICを受けさせる取り組みが始まった。
勉強嫌いでもなんとか景気の良さが後押しして、まぁまぁまともな会社に入社できた私。入社時点でTOEICは300点台という、滑走路スレスレを飛行していた。
その後数年にわたり、低空飛行は続く。途中少しスコアが上がったのは、恐らく、ただの試験慣れである。
そんな私に変化が訪れたのは、長男が誕生してからだ。
子供ができると、とにかく自分の時間は無い。今までテレビやゲームやパソコンに費やしていた時間は、子供に全て吸収されてしまう。まるで時間を吸い取るパンパースである。
自分の自由な時間が極限まで制限されると、本当にやらなければならないことに集中せざるを得ない。人間誰でも1日24時間しかないのだ。
どんなに自由な時間だろうが、ゲームをリビングのど真ん中でやるには、嫁の視線が痛い
どんなに自由な時間だろうが、テレビは1つしかないから、嫁の視線が痛い
どんなに自由な時間だろうが、パソコンばかりやっていると、嫁の視線が痛い
そう、どう転んでも、家でやることは嫁の視線が痛いのだ。
そんなある日、会社で飲み会が開催された。
嫁に送り迎えをお願いするなんて恐れ多いので、当日は車で出社し、会社に車を置いておき飲み会に参加。その日は電車で帰宅し、翌日は電車で出社。で、車で帰ってくるという作戦を考え付き、それを実行に移した。
予定通りに帰宅し、翌日電車で出社することになった。
この電車だが、いつも始業ギリギリに出社している私からすると、それよりも30分ほど早い。
「まー、一日だから仕方がない」と、眠い目をこすって電車に乗り出社。
いつもなら始業ギリギリに到着する私は、会社の守衛所を通過するときに、車内から守衛さんに頭を下げると、「またあいつギリギリだよー」という顔で半笑いで見られていたが、この日は30分も早く到着したもんだから、2度見されてしまった。
会社に到着すると、30分も早いからか、まだ朝の静けさがフロアには広がっていた。
まっすぐに自分の席に座ると、周りはまだ誰もいない。
会社の椅子に座り、仕事以外にやることなんて急に思いつかず、おもむろにデスクの引き出しを開けてみた。
すると、先日の社内TOEICの試験直前に買って、数ページだけ読んで、ほぼ新品の状態を保ったまま大切にしまってあった単語集が。
折角だし、これでも読んでみるかと読み始めてみた。
「ふむふむなるほど、初級編でも結構わからない単語あるもんだな」と、読み耽っているうちに始業時間に。
最初は早起きしたせいで、ただただ眠くて、今日だけだからと鞭打って出社したのだが、こうして始業時間を迎えてみると、皆が焦って出社してくるのを尻目に、優雅に単語帳にふむふむしているとは、なんだかとても心地よい気分だということに気づく。
「そうか、30分早く出社して、会社で本を読むようにすれば、この時間は誰にも咎められることはなく、完全に自分の時間だ!嫁にいつも、もう少し余裕持って行きなさいよ。いつか事故るわよといわれ続けていたものも解消でき、一石二鳥ではないか!」
そして私は次の日から、30分早く出社して会社のデスクで学習するという習慣を始めた。
早起きが辛いのは最初の数日だけ。それを過ぎれば、もう当たり前になってしまう。
そんなこんなで、早起き学習を毎日続け、もう8年ほどになる。
後になって知ったのだが、習慣化で最も大切なもの。それは、
「時間と場所を固定化する」
ことだということ。知らず知らずのうちに習慣化のテンプレートにまんまとハマっていたのだった。
習慣化の力は恐ろしい。
学習が習慣化したことで、TOEICのスコアはみるみるUPし860点を超え、リスニングは満点をたたき出せるまでに成長したのである。
それだけではない、FPやVBA Expartなど、朝の時間で学習して資格取得に至ったものまであった。
たった30分、されど30分。週5日で1か月10時間だ。勉強時間が0に等しかった私にとって、ガガーリンもびっくりの大きな飛躍である。
ちょっとしたサクセスストーリーとなったこの話、様々な取捨選択を経て最後に残ったのが勉強だったというわけだ。
人生変わったというのは言い過ぎかもしれないが、あの電車通勤のたった1日が私にとっては大きな転機となったのは言うまでもない。