71.「恋愛に性行為は必要不可欠なものなのでしょうか?」
年内ギリギリ滑り込みの更新!最近はもっぱらAPEX一筋のくろぎです!クリプト専目指して日々野良カジュアルに潜り込んでいる。キルレやらエイムがゴミすぎるけどドローンでリスポーンとEMPしまくってがんばるぞ~~!
11月はしれっと更新しておりませんでしたが、トピックとしては数日お仕事を休んで数年ぶりに鹿児島宮崎に帰省して美味しいもの食べたり観光したりと良い秋を満喫してました!!羊と触れあったのと天文館でしろくま食べたのがめっちゃ良かったですね。
さて、世間がクリスマスのビッグウェーブに乗っているタイミングで更新するのはこのお題。
あんまり性別でくくって話すの好きじゃないんですけど、このあたりのトピックはどうしても生物的な本能に由来する認識の差異があると思っているので難しいですね。
そもそも私にこのテーマを聞くんかい!というツッコミはありますが、こうなったらとことん安定の拗らせ思想全開で答えましょう。
や、性行為の目的は子供を作ることに他ならないので、「子供が欲しければ必要だし子供がいらなければ不要!」という回答で片付けていいんですが、実際のところ子供を作る以外の意義もありますよね。なので、この記事では「避妊前提の性行為」が恋愛において必要か不要か、といった部分で答えが出せるように語ろうと思います。
素人の意見なのでとんちんかんな部分や「いや、自分には当てはまらないんだが?」となったらすみません(特に男性視点の解釈の部分)。
※このトピックは私の極めて個人的な見解を述べるというスタンスをとる便宜上、後述の章ではヘテロセクシュアルを前提とした「男女別」でくくって論を展開する場面が多々ありますが、当然個人差あるということは念頭に置いて読んでいただけるとありがたいです。
性行為は円満な恋愛の構成要素になるが、性行為があれば必ずしも恋愛が成立するわけではない
最初に結論を提示するとこういう感じです。もちろん、アセクシュアル──他者に性的欲求を抱かない方もいるように、性行為抜きで関係を構築できる……いわゆるプラトニックラブを体現するカップルも存在するでしょうし、そのような関係は何ら不自然なことではないと考えています。
一方、Yahoo!知恵袋や巷に蔓延る恋愛メディアでは「レス」にまつわる悩みを扱うものが腐るほど出てきます。また、法的にも「性の不一致」が離婚事由として認められる事実を踏まえ、カップルが両者ともに心身満たされてより良好な関係を築けている傾向が強いのは性行為も含めた関係であろうという推測を踏まえると、このお題に対する答えとしては「恋愛に性行為は必要である」ケースが多いと言い切ってしまって良い気がしています。
とはいえ、私なんぞに言われなくても分かっているとは思いますが、人間関係のあれこれは当人がどう考えていて、何を感じているかが肝要です。肌を重ねなくても日常を一緒に積み重ねることこそが愛だと考えている相手であれば必要不可欠だとは思わないかもしれないし、逆もしかりです。自分だけであれこれ考えたり「常識」と思われる枠組みに相手を当てはめようとするよりかは、相手自身の考えに触れて、お互いにとって心地よい関係を構築しようと歩み寄るのが一番ですね!
ただし、性行為をする仲であれば必ず恋愛が成立するというわけではないというもう一方の側面こそに今回のお題の本質があるような気がしています。
恋慕と性欲の結びつきが強い女、恋慕と性欲が独立した男
あくまで傾向の話ですが、性欲に関する男女間の差異について言及する場合、見出しのような内容を多く目にする方が多いと思います。あとは「男の浮気は遊び、女の浮気は本気」とか。個人的にはこれは概ねその通りだと感じています。
女性:生殖リスクを容認する基準こそが恋愛感情であり、恋愛感情が成立して初めて性欲に繋がる
なんだか色気のない話になりますが、女性はどうしても妊娠中は普段よりも自身の生命が脅かされるリスクがある以上、そのリスクを背負ってでも残したい遺伝子を持つ相手か、可能な限り身の安全が確保されるような相手を求める生殖本能が存在すると思っています。今でこそ医療技術は発展していますが、とはいえ出産が命がけであることは今も昔も変わらないですしね!
昨今では性に関してオープンになってきている風潮を感じるのでそれ自体を批判する意図は全くないですが、少なくともこの生殖本能だけに着目して考えるのであれば女性が「誰彼構わず性行為をする」のは、理にかなっていない行動になります。性欲解消を求めての性行為ならしかるべき避妊手段を取っていれば女性だろうが男性だろうが誰としようが問題ないというのもそれはそうだと思いますし、実際にそうしている方もいると思います。
が、男性と比較すると「純粋な性欲解消」のために不特定多数の男性と関係を持つ女性は少ないと感じています。これは正確に言うと、女性が不特定多数の男性と関係を「持たない」ように律しているというよりかは、そもそも「持てない」ようになっているんじゃないかなと。
先ほど
と書いている通り、女性は生殖において自分が抱える「リスク」を容認できる相手か否かを無意識のうちに見定めていると感じています。要するに、外見が非常に好み、知的さを感じるといった「異性としての魅力」、もしくは「この相手なら自分を大事に守ってくれる」「誠実に向き合ってくれる」という信頼感が礎にないと性欲が抱けないようにできているということです。
異性の魅力、信頼感といったあたりのファクターは人それぞれ比重や詳細は異なってくると思いますが、これらは過去記事で
と触れている通り、恋愛感情を抱けるかどうかの判断材料としても結び付いてきます。
相手への信頼や好意が前提にあって性欲が発生する……つまり、女性の性行為は恋愛感情が先に成立していることが多く、またそれが妊娠の可能性がある以上最も合理的な流れであるということになります。
一番わかりやすい例として、「セフレのことを好きになっちゃって辛い😢」という悩める女性の声が津々浦々から多数寄せられているのも性欲と恋慕が結びついているがゆえの事象だと思います。
これは、最初から相手のことを恋愛として好き(本人がそれに気づいていないこともありそう)で体を許したものの、恋愛関係が成立せずにセフレにならざるを得なかったか、体の関係が先行した「矛盾」を解消するために相手のことを恋愛として好きであると錯覚しているかの2択だと思っています。
前者は後述しますが、まさに女性と男性とで性欲と恋愛感情の結びつき方が違うことに気づけなかった事故、後者は生物的な本能と自身の行動に一貫性を持たせるための防衛反応、というかバグのようなものでしょう。ここは深く語ると本筋から外れそうなのでここらへんにしておきます。
男性:生殖機会獲得最大化のために独立した性欲と恋愛感情
一方、男性は見出しの通り恋愛感情と性欲はそれぞれ別のモノとして独立している傾向を感じます。我々人間は社会的動物なので理性的に生きているものの、あらゆる世間の目とか倫理観とか善悪とか、そういう一切を取り払うとやはり女性よりも男性の方が一人でも多くの人と関係を持ちたいと思うのは自然の欲求ではないかと思います。
これは「より多く自分の子孫を残す」という生殖本能と、それをつつがなく実現すべく女性と違って生殖において直接自身の生命を脅かすリスクを持たない(社会的責任は付随しますが)ように設計されているため、深層心理における性行為のハードルが低いからな気がします。何事もリスクが少ないのであればやらない理由はないですし、機会は多いに越したことはありません。
で、何よりも本能とはうまくできたもので、生物のオスにとって「自分の子孫を多く残す」ことが遺伝子レベルに刻み込まれた使命だとしたら、その重く伸し掛かる責任を乗り越えるべく「快楽」を付与してくれてるんですね!私は男じゃないので転生しない限り体感できないのですが、実際に多くの女性と関係を持ちたがる人は子どもがたくさん欲しいわけではなく、その副産物である快楽と優越感に耽ることを目的にすることが多いと考えるときっとそれは相当良いものなんでしょう。
すると、自ら高度な条件(=相手が恋愛感情を抱けるような人間かどうか)を設定して対象の母数を減らすのではなく、最低限の基準のみ設けて多数にアプローチをかける方が機会獲得の成功率が高まる──性欲と恋愛感情を結びつけることは非効率的であるため、別物としてそれぞれ成立されるように出来ているのでしょう。
だから、本当にそうするかは別として「好きじゃなくても抱ける」男は多いし、そこのズレのせいで「恋人になれないの?」と涙を流すのは女の方が多いんですね。
日常的にそう自覚して行動に移している人はまずいないと思いますが、本能的な部分だけで語ればそういう原理になっているんじゃないかなと思います。センシティブな話題なので都度フォローしたいんですが、これは決して男性が性行為を軽んじていると批判する意図はないです!!!
「恋愛感情と性欲が独立しているってことは、好きだからしたいってならないってこと???彼女に性行為を求めるのもただの性欲解消の意味しかないん???」という疑問が聞こえてきそうなので次の章に移っていきましょう。
男女別に見る性行為の意義
この章ではまたお題の答えに補足していくような内容に移っていきますが、一般的に恋人との性行為の有無により重大な意味を見出そうとするのは女性の方が多い気がしています。
女にとっては「愛情の有無」を測るために機能する
具体的には、女性の方が「相手の自分に対する気持ち」を性行為を通して確認しようとする傾向がある気がします。乱暴な論になりますが、前章で説明している通り自分自身が「性欲を抱ける=好き」「体の関係は相手に対して一定以上の気持ちが伴わないと築けない」と認識しており、それを無意識のうちに男性側の振る舞いにも当てはめて解釈しているからです。愛情があることは二人の関係を成立させるための大元の条件になりますから、交際中はなおさら敏感になるのでしょう。
元々自身の性欲が強いわけではない女性や、もはや異性というより家族として連れ添う関係になった女性であったとしても「別に積極的にしたいとは思わないけど、相手から求められないとそれはそれで辛いし寂しい」と悩むのも、男性は一般的に性欲が強いという知識に加えて、「性欲は魅力的に感じる人に対して抱くものなんじゃないか」という女性的な考えがあるからだと思います。その二つの掛け合わせが「性欲があるはずなのにそれを自分に向けてくれない=自分のことがもう好きじゃない」という結論に至るように、性行為の有無を自身に対する好意のものさしとして適用している人が多い気がしますね。
つまり、女性にとって、性行為の有無はそのまま二人の恋人・家族としての関係が安泰かどうかを測る意味合いもあるということです。この心理がこじれたベクトルで作用すると、セフレが悩む原因にもつながります。気持ちが伴わない体の関係だったとしても「今は彼女じゃないけど、とはいえ彼女でもない私にもあんなに優しくしてくれるってことはちょっとくらいは好きなんじゃないのかな……いつか付き合えるのかな……?」のような淡い幻想を抱いてしまうのはまさにそれですね。
もう少し言ってしまえば、不特定多数の男性と体の関係を持つ女性で、純粋な性欲解消を目的とした(=割り切りが完璧である)人が少なく、ドロドロ沼にハマりやすい理由もまさしくこれですよね。自身に愛情を向けて欲しい、求められたいという欲求が何らかの理由で強く、歪んで表出した時の満たし方として性行為を手段としてしまうのかなと思います。いわゆる"裏垢界隈"に孤独感が強い、自己肯定感が極めて低い、承認欲求が過度に強い、病みやすい人が多いのもある意味当然です。実際は穴モテしてるに過ぎず、愛情を向けられているわけではないと本人も気づいているからこそ事後の寂寞感、虚無、後悔に苛まれ、それを忘れるために刹那的な行為にいそしむという悪循環に陥ってるのです。
男にとっては「自信を得る手段」の一つにすぎない
一方の男性側はどうなのかというと、もう本当にこれは自分が女である以上推測の域を超えることはないのでリアルメンズの見識を反映したいんですが、女性に対して愛情表現をする手段として性行為を真っ先に思い浮かべる人はほぼいない気がします。さっそくズレが出てきましたね。当然遊びの子と本命の子ではモチベが違うというか、接し方一つ一つを変えることで愛情表現としている人もいるとは思いますが、あくまでオプショナルなものくらいに捉えているんじゃないかな……と。なんなら、男性にとっては「恋人」「妻」として相手と関係を構築している事実そのものが最大の愛情表現だと捉えている節はある気がします。
や、男性の恋愛感情と性欲は連動していないだけで共存はしていると思います。そして、男性が性欲を抱く対象にもグレードのようなものがあり、これに関しては女性と同じで本来の目的である子供を作る便宜上、より魅力的に感じる遺伝子を求めようとする(さらに言及すると相手が魅力的であればあるほどそんな相手を抱ける自分、という事実に対する優越感や征服欲もより満たせる)わけなので、結果的に最もグレードが高いのは恋愛感情を持つ相手とイコールとなることが多く、「彼女・妻だからこそしたい!」となりやすい時期があると思います。
なので、「恋愛感情と性欲が結びつかないってことは、好きだからしたいってならないってこと???彼女に性行為を求めるのもやっぱりただの性欲解消の意味しかないん???」に対する答えは「好きだからしたいとなるが、『好き』とは性欲ありきで成り立っているものである以上、性欲解消の側面を完全に否定することはできない」って感じではないでしょうか。こう書いてしまうと「結局私の体が目当てだったのね!」となりそうですが、むしろ逆です。性欲のストライクゾーンが広い男性に最高グレードの性欲を抱かせるためには人間的な中身で差別化を図る必要があるため、そのレベルに達するともはや体はおまけでしかないのです。知的な人に色気を感じるとか言うのもそれです(?)
このあたりが複雑なんですが、男性側からしても「そりゃもちろん好きな子としたいしするけど、遊びの女の子に向けるような性欲解消って動機とは違うし、かといって相手を好きだという気持ちに比例してやりまくるとも限らない、むしろ彼女が妻になってからは大切に想う気持ちは昔から変わらないけど、回数が減ったし……」っていう感覚はあるんじゃないかなと思います。
これに対する私の解釈としては、男性にとっての性行為は自分の「男としての魅力」を証明・自覚する──つまり、自信を持つための手段の一つにすぎないというものです。これは、遊び相手であっても彼女・妻であっても、です。
男性は競争の性です。何を以って「男としての魅力」とするかは本当に人それぞれだと思いますが、魅力を成す構成要素は非常に多岐に渡ります。分かりやすい例示をしてみましょう。
■女遊び・恋愛初期と関連性が高い「男としての魅力」構成要素
・異性に好まれる外見・ファッション
・異性を楽しませる話術
・異性の心を開かせる気遣い・距離感
・経験人数(テクニックよりも場数を重視してるところがミソ)
→「魅力的な異性を捕まえるための武器」になりうると彼らが信じているもの
■恋愛中期以降〜結婚と関連性が高い「男としての魅力」構成要素
上の要素も関係してくるが、圧倒的に
・甲斐性があること(経済力があることと解釈する人が多い)
→「魅力的な異性を守るために必要な覚悟」になりうると彼らが信じているもの
ここで挙げたのはほんの一例になると思いますが、「男としての魅力」とは魅力的な異性を手に入れ、家庭を作るという生存戦略において他の男との優位性を証明するために必要なプライドのようなものだと思います。今でこそ恋人がいる・結婚できる人は人として真っ当だ・優れているという価値観は古いものになりつつありますが、「異性に好かれたい」、もっとダイレクトに言えば「性欲を解消したい」という生理的かつ低層欲求を満たすためには当たり前ですが「異性から選ばれる」必要があり、それは本質的には自分の持つ「男としての魅力」を認められたい、評価されたいという承認欲求の一種とみなせるのではないでしょうか。
したがって、不特定多数の女性からモテたい、といった第一の欲求を最も気持ちよく解消できるゴールはシンプルに性行為となります。行為にありつけたという結果は外見や話術やらなんやらの要素を統括し、「男としての魅力が自分にある」ことが力強く証明されたことに他ならないからです。そういう意味では、女性が性欲を抱くメカニズムとそのハードルの高さを直感で理解しているからこそ経験人数をステータスであると妙に過信している男性がいてもおかしくはないでしょう。
一方、恋人や家族を持つ男性は通常不特定多数の異性から好かれる・選ばれる必要がありません。すでに「競争」のフェーズを終えているため、今度は狩猟の結果手に入れた「パートナー(子供)を大切にする責任感・力量」を持つ男であることを証明し、また自分にはそれができるんだと自信を持つ必要がある(と彼らは信じている)のです。この場合、「仕事で成果を出して昇進昇格を目指す」「結婚する」「マイホームを買う」といった具合の方向に注力する人が増えるんじゃないかなと思います。無論、愛だけでおまんまを食べることはできません。この世は何をするにも結局お金が必要です。お金を得るにはそれに見合った価値を創出しなければいけません。つまり、安寧が保たれた日常を担保する経済力や能力……これこそが「男としての魅力」であると考えるようになるのです(男は馬車馬のように働け、という主張ではないです。今の時代はむしろ女性の労働参画が進んだことで家事をしっかりこなしてくれることが「男としての魅力」に繋がるケースも本当に多いですし、そういった背景を踏まえると守りフェーズにおける役割分担も多様ですし、男・女というより人間としての魅力、と表現する方が適切な気がすると補足します)。
ここでこの章の冒頭に戻りますが
と書いたのは、男性にとっての真の愛情表現は「責任を果たす」ために付随する言動に現れており、そういう意味では性行為を「責任を果たす」動機でする場面が極めて限定的である(=妊活)ため、基本的に性行為に愛情表現の側面があるという女性的な発想が自然発生しにくい、ということになります。
実際は「うちの彼氏はしてる時めっちゃ愛情表現してくれるし、終わった後も賢者にならずに優しくしてくれるもん!好きだからこそ大切にしてくれてると感じる!」という声もあるかと思いますが、これだけ簡単に情報収集ができる世の中なので男性側も女性心理を知る機会が増えました。「女性にとっての性行為はどうやら俺ら男にとっての意味合いと違うようだ」と気付き、自身の振る舞いを工夫することで有利に生存競争を進められる男性もいるでしょう。男性にとって本来愛情表現の機能を持たない性行為にその意図を付与するのは、そうまでしてその女性を「狩猟したい」と追いかける気持ちがまだ強いことの表れではないでしょうか。
ただ、完全に女性からの気持ちを確信し、「自分のモノ」になったと安心(時には慢心)すると、狩猟を終えたことと同義になるためやはり男側としてはパートナーと躍起になって性行為をする動機がなくなるのも自然だと思います。
要するに、性行為を通して得られる「男としての魅力」の証明・自覚は、狩猟・競争フェーズでは自信に直結しやすいため重要度の高いものとして捉えられるものの、競争に勝利して選ばれた後の守りのフェーズで求められる「男としての魅力」の証明・自覚は、責任と覚悟の履行の実践とも言える仕事などから得られるようになるため、性行為の優先度がどうしても彼らの中で下がっていくのです(当然、守りの関係における性行為で得られるものもあるが、それは性行為をせずとも別の形・手段で日常生活の中から彼らが自発的に見出している可能性が非常に高い)。特に、実際に子供が生まれた家庭においては「子孫を残す」本能の形が承認欲求を起源とする性欲から、守りを起源とする母性・父性に移行されることでいよいよ背負う責任が重くなり、守りの動きが顕著となってレス問題に直結しやすいんだと思います。
恋愛関係においても性行為の有無だけで相手の気持ちを判断することは不可能
男性の狩猟本能が強く働きやすい恋愛初期においては男女共に性行為への温度感が一致しやすいため問題ないのですが、狩猟を終えたと認識する恋愛中期〜後期においては男性側の温度感が下がることですれ違いが生じやすくなります。愛情と性欲が強く結びついている女性はどうしても性行為の減少やレスはそのまま相手の愛情が冷めたからに違いない、と考えがちです。
が、ここまで長々と語ってきたように、性行為がない=愛がないとするのは彼らの性欲のメカニズムに照らし合わせると正しい解釈とは言えません。愛がなくても性行為はできるので、そこだけで愛情を測るのは事実上不可能です。男は愛情を原動力として性行為をするのではなく、狩猟本能が掻き立てられる時にするというシンプルな原理を頭に入れておくことで、男性から求められなくなったのは冷めたからではなく、むしろ愛情があるからこそ二人の関係が「狩猟の場」から「守りの場」へと変化したのではないかと女性側が男性視点に立つことで減らせるすれ違いもある気がします。
ちなみに不貞行為も結局狩猟本能を理性でコントロールできるかできないかの話であり、恋愛感情に突き動かされている(=相手に本気で入れ込んでいる)ケースは稀だと思います。この場合は愛情が残ってるとか残ってないとかそういう部分で争うのではなく、「理性で本能をコントロールできない」「守りの場を持つにも関わらず、それ相応の責任感や覚悟がない(=自分本位)」という致命的な部分から目を逸らさないようにしましょう。
「恋愛において性行為は必要」と冒頭で結論付けていましたが、ここまでの話を総括し、必要な理由を男女別で整理すると
女性→自分を愛してくれているか確認するために必要
男性→男としての自信を手に入れるために必要
となります。これ、伝わりますかね〜似てるようで別物です。
自分の遺伝子を残したいというナルシズム
お題への回答は必要最低限の要素は提示できた気がしますがいかがでしょうか。もっと言及したい事象とかあるんですけど、限りなさそうなのでやめておきます。というか、これは本当に思いつきレベルの発言なのですが、自分の子孫を残す本能が性欲であるという大原則に立ち返ると、性欲は究極的なナルシズムを写し出す鏡とも解釈できそうですよね。結局女性も男性も性行為を通して見ているのって相手に見せかけて自分でしかないもんな!!!!!!自分の存在を認めてもらうための闘争!!!!や、健全なナルシズムは誰しもあるはずなので、別にそれは批判すべき事象でもなんでもなく、模範的な在り方なんだと思いますが(最後の最後にこんがらがるようなことを言い出すな)。
以上です。クリスマスも残り少しですが楽しくお過ごしください!!!
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#夕刊くろぎ雑記 では三日坊主の私が現在不定期で記事更新を試みています。
記事のお題は以下で募集しています。投稿の中からランダムで一つ選定して毎日書きます。
ひとりごとでも単語でも質問でも公序良俗に反しないものであればなんでもOK。
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お題は質問箱へポイ
「ちょっと面白いじゃん」「いい暇つぶしになったわ」と思っていただけたらスキ❤️お待ちしております😘 もし「スキじゃ足りねぇ…結構好きだわ…これが恋?」ってなった時はポテトSサイズを奢るつもりでサポートをお願いします。ポテト御殿の建立費として活用します。