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第二回:くろぎの映画鑑賞感想文「ヒミズ」

こんばんは。くろぎです。
先ほど一作品めの感想文を更新しましたが間髪入れずに二作品めの感想文を提出するぞ〜〜〜〜!!!!!!筆者の気持ちを読み解くの高校生ぶりだからなかなか難しいな〜〜〜〜〜!!!!!てか、さっき感想文書いてて思ったんですけど、同じ作品を見ても違う感想が出てくる映画ってやっぱりすごいですね。それだけ解釈の余白を戦略的に織り込んでるってことなので。私みたいに全部説明したくなるようなタチだとクリエイター向いてないなʅ(。◔‸◔。)ʃ

続いてはヒミズです。こっからはサクッといきます!!
原作は読んだことないので完全に映画の知識のみです。

抗えない運命に翻弄され、絶望の底に落ちても前進する覚悟を選んだ

今回見た作品の中では純粋に主人公らの境遇が「不遇」という点、ボコボコ暴力シーンが定期的に挟み込まれているという点において見てる間は常に気持ちが暗く重いんですが、唯一ハッピーエンドというか、光が見える終わり方だったのが救い。震災後の公開という背景もあってそういう終わり方にしたのかなという感じがありますね。

自ら選ぶことができない「家族」。歪みを抱えた家庭で生まれ育った中学生の住田が「普通」を求め静かに生きようとするも、衝動的な行動によって絶望の底まで落ち、「普通」ではない宿命を自ら背負う結果となります。その結果、積年のやり場のなかったモヤモヤや苛立ち、憎しみと諦念が爆発して自暴自棄になり、自ら死を選ぶところまで追い込まれるものの、周囲の人間の支えと対峙により前を向いてまた一から歩み始めるための覚悟を持つまでを描いた作品だと捉えました。正直、これが全てなんですが、少し補足として語ります。

作品を通したテーマは「不条理との闘争」

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住田は
・男遊びのことしか眼中にない。しまいには住田を置いて家を出る母親。
・金を無心し暴力を振るうアル中。笑顔で「本当に死んで欲しい」と頼む父親
という愛情の片鱗も存在しない親の元に生まれています。もちろん、ストレートに日本が抱える現実的な闇としてこのような家庭問題を取り上げた側面もあるかと思いますが、なによりも映画ヒミズにおける住田は「自分の裁量でどうにかなる範疇を超えた現実を前に、無力であることを痛感しながらも不条理に翻弄される」存在として描かれることが重要だったと感じています。

それは東日本大震災という無差別に大勢の人の日常を奪った、人智ではどうしようもない不条理な天災と観客の記憶をリンクさせるためです。父親を殺したという物語の転機、自暴自棄な世直し思想への到達などは不条理に翻弄された絶望といたたまれなさを色濃く演出し、物語の結末を際立たせるための装置にすぎず、物語の一番の本質はそこ(住田が絶望しきるまでの心理変遷)ではないと思っています。

物語の本質を考えるにあたり、個人的に注目したのは住田の周辺人物です。

・住田の父親の借金600万を強盗殺人に手を染めてまで肩代わりした元社長のホームレス
・何度住田に殴られ拒絶されようとも恋慕し、本気で泣いて、怒って、笑顔でぶつかってくる同級生の茶沢

この2人はフィクションということもあり現実味に欠ける演出もしばしばあったのは否めないものの、両者を通して描きたかったのは「人の親切・思いやり」といった表面的なものではなく「不条理との闘争」だったのではないかと考えられ、その点においては非常に効果的だったと思います。

なぜホームレスと茶沢は住田に救いの手を伸ばしたのか

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彼と彼女の行動は言ってしまえば「非合理的」です。自分自身にも余裕がない状況にも関わらず、なぜそこまでして住田に手を差し伸べてくれるのか。人の親切は理屈ではないといえばそれまでですが、この作品内で描かれた親切には必ず思惑があると思っています。

完全に私個人の感想ですが、陰鬱とした日本で生きる彼らは「明るい未来」という不確実で漠然としたものをどうしても諦めきれなかったのではないでしょうか。そんな彼らにとって、住田を見捨てることは不条理と絶望への敗北宣言に等しいと考えられます。つまり、彼らの行動はもちろん住田のためでもありますが、何よりも自分のため……「明るい未来」を疑いなく信じ続けるための闘争だったと言えるでしょう。

どういうことかと言うと、元社長も茶沢も住田とはまた異なった不条理を抱えており、それを乗り越えるためには言葉は悪いですが「自分よりもさらに不遇(人の不条理・苦悩にレベルをつけることはできないのは承知の上での表現)な住田を救った」という証明を潜在意識で欲していたのではないかと思います。

これもリアルな人間の弱さですよね。自分よりもがんじがらめで不幸に思える人でも前進できたとすれば、未来を諦める必要はないし、何より自分にも不条理に抗う力があるはずだと確信できる何かがないと今にも押しつぶされそうなんです。元社長が金子からなぜ600万円を住田のために払うのか、と聞かれたときに「中学生である彼に希望を託したい」といった旨のことを言っていましたが、それこそが最も分かりやすいセリフだったと思います。

特に茶沢はその傾向が強いように思います。一見すると作中では住田を茶沢が救うような構図で描かれていますが、実は住田を救うことが茶沢自身の救済に直結しているという、極限を生きる人々の間で構築される関係性が克明に表現されていたと思います。まさしく愛する人を守り守られ生きたいという茶沢の夢そのもの、ロマンスの原始的な姿ではないでしょうか。

茶沢家の背景は詳細に描かれていませんが、母親の精神疾患の気配や一家心中の予感(電飾が施されたDIY絞首台が死を救済として捉えていることを表現しているのも印象的)など、並々ならぬ不条理をこちらも抱えていることが明らかになっています。ですが、少なくとも、住田が出所するまでの4年間については茶沢がこの後も1人で闘争を続ける理由を見出したことを自首前夜の2人のやり取りで暗示されており、住田の自首が茶沢にとっても「明るい未来」に向けた第一歩になっています。

作品冒頭では授業中に綺麗事を話す教師のシーンがありましたが、もはや綺麗事だけでは前を向いて生きていくことができない人もいるという現状を再認識させるためには十分機能した登場人物だったと感じています。

「明けない夜はない」ということに目を向けるきっかけとなる作品

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不条理な状況下で救いがないように見えても、必ず今は過去になるということ。どんな時でも未来は必ずやってくるということ。そして、未来は良くも悪くもこれからの自分次第でどうにでもなるということ。その当たり前とも言える事実がこの物語では一筋の光でありながらも強烈な救いとして機能しています。観客にもそんな当たり前を再認識させてくれたのではないでしょうか。

震災後に公開されたという背景を考慮すると、住田が頭をぶち抜いて自殺しない運命を選んだこと、そしてハッピーエンドにはほど遠い険しい前途が待ち受けていることが明白でありつつも、それも全て受け入れた上で中学生2人が覚悟を持って警察署へ走って向かった結末になったのはかなり前向きだな、と思いました。あらゆる苦境に置かれた観客の背中を押した作品ではないでしょうか。




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