人生は能力バトル そして、能力ガチャバトル 己の能力を信じ、努力と友情で勝利を掴め!
かつてジャンプ黄金期時代に小学生や中学生だった就職氷河期世代だが、あの頃のジャンプ漫画から受けた影響は計り知れないだろう。
未だにキン肉マンが続いており、本連載が終わってもなお派生した作品が出るドラゴンボールや聖闘士星矢がその影響力を物語っている。JoJoだって作者の顔見たく人気が衰えない。
筆者も、熱心にキン肉マンを読むどころか昔のアニメをネット経由で再視聴してしまうほどその熱はおさまらない。恐らく、一生付き合っていくのだろう。
さて、そんな黄金期時代のジャンプ作品となると、もちろんまず『努力・友情・勝利』が思いつくかもしれないが、それとともにあるのが超越した能力だろう。
超人やサイヤ人などの非現実的存在が出る作品だけでなく、キャプテン翼などの現実的なキャラクターでさえ人の力を超越したような技を繰り出していた。
まさに、能力こそ全て。
超越した能力があるものこそ勝利を手にする。
そんなことを教えてくれていたのかもしれない。
しかし、これは逆にいえば力なきものは力あるものに服従するしかないという残酷な現実をも教えていたのかも。
今となっては、そちらの教えの方が響いてくる。
氷河期世代の多くは、カナディアンマンやスペシャルマン、それにヤムチャをバカにはできないのだ。
少し古い作品だが、ジャンプには『夢戦士 ウィングマン』(掲載期間 1983〜1985)という作品があり、アニメの聖闘士星矢には『ソルジャー・ドリーム』という曲があった。
この、『夢』と『戦士』という言葉は、我々氷河期世代にピッタリな言葉かもしれない。まさに、我々は夢を追い求めて戦う名もなき戦士なのだ。
いや、違うな。夢戦士はもはや世代を超えた共通の概念かもしれない。
今や、世代を超えた多くのビジネスパーソンが夢戦士なのだ。
今や、ネットを眺めていると至る所で稼げる(とされている)副業講習やもっと広いビジネスに役立つ(とうたわれる)セミナーや自己開発が散乱している。本屋に行っても、ビジネス書のコーナーにいけばそれらを連想するタイトルがずらりと並べられている。これらは、もはや夢戦士たちが縋り付く場なのではないか。
ビジネスパーソンたるもの、日々の自己鍛錬に励みこの修羅と化したビジネス戦線で活躍できる人間にならなくてはいけない、あらゆるところでそうやって煽られているのではないか。
カリスマインフルエンサーを中心としたネット上でのセミナーが大流行しているが、あれこそ煽り煽られの世界である。
鳥のように空を飛ぶ能力、チーターの如く地を疾走する能力があればイチイチそんなご高説など聞かなくても己の力で切り拓けるのだが。そんな分かりやすくマッチョな能力を持っている人などごく少数。大抵は、怯える小動物だ。マッチョ同士でセミナーを通じて繋がり合えば、より価値と意味が強化されるではあるだろうが、マッチョなビジネスパーソンであることが大前提。か弱きビジネスパーソンが紛れたところで、どこまで意味を得られるか。
しかし、そんなか弱き民を集めて煽りながら無知な人間を……。
このビジネス界隈において煽る煽られるという現象もまた、現代社会の問題でもあるだろう。カリスマインフルエンサーは、たまたま運良くこの時代に適正した能力を持って生まれただけの人間だ。できる人間ではなく、生まれた時点で強運を持った人間と言い換えられるだろう。そんな実態を知らないまま、生まれた時点では現代社会に不適応な能力しかなかった不運な人間は何も知らずに煽られている。
煽り耐性をつけるのもまた、現代ビジネスパーソンとしての重要スキルなのかも。そんなスキルも持てずに社会人になった人は、それこそ肉食獣の餌食になるだけの小動物。
せめて、己のレベルを明確に知覚できる能力は持っておきたいが。自分が獣なのか、小動物なのか分かるくらいは。
現代は、まさに野生時代である。
誰もがビジネスにおいて分かりやすくクッキリとした成果を追い求められて、その明確な手法もわからないままに戦わされている。成果主義の今、ハッキリとした稼げる正解などなかなか提示できない。誰もが己で見つけ自己鍛錬するしかない。
昔は一億総中流と言われて、多くの人間が終身雇用年功序列という手厚い待遇の元で働けていた(24時間戦えますか? と問われてもいたが)。だいぶ昔になるが、「末は博士か大臣か」なんて言われたりもしたし、二次産業が盛んになり、誰もが三種の神器を超えてマイホームすら現実的な夢とかした。
分かりやすいモデルがそこにはあった。
あったのだ。そんな時代が。
しかし、そんな分かりやすい教科書があった時代はもう過去となった。氷河期世代にとっては小学生から高校生あたりまでの、つまりは大人たちがやっていた時代、もしくはテレビの中での時代でしかない。
氷河期世代から下は、誰もが教科書のないなか手探りで正解探しをしている。自分探しどころではなかったのだ。
いわば、深い森や砂漠の中を地図なしに彷徨い歩いているのである。
地図?
そんなものはありゃしない。そんなものは役には立たない。
先日、Twitterで山口周氏(@shu_yamaguchi)がこんなツイートをしていた。
いまの時代に必要なのは地図ではなくコンパスなんですが、ほとんどの人は「最新の地図」を手に入れることに狂奔してますね。だからこそコンパスを持ってる人がますます有利になるわけですが
まさに今の時代を表すツイートである。
我々に必要なのは、夢へのルートが細かく記載された地図ではない。なぜなら、そこに記載されたルートはもう何年も前に大木や流砂で覆い隠されて通れないのだから。そこを通れたのは、バブルより上の世代だけだ。
では、新ルートが記載された地図は?
そんなもの、現状ではない。
明確な新ルートは確立されていない。
下手をすれば、日々そのルートが変更されているのだ。
だから、その時その時で自分で道を探すしかない。
その夢へのルートを見定めるためにも、ビジネスパーソンとしてのセンスや直感が求められている時代なのである。
ジャンプ黄金期世代的に表現するならば、誰もが『セブンセンシズ』を発動させなければならないのだ!
それは、たとえシャカに五感を抜かれようともだ。不死鳥のように蘇らなくてはならない。
そう、我々はフェニックス一輝を目指さなければならない。
などなど色々書いてみたものの、そんなマッチョな生き方って誰もができるわけないよね。獣でいられる人は極一部。
極一部だからこそ大きな価値がある。大きな力となる。
その他大勢だからこそ、か弱き存在になる。
まさに、生まれた時点での能力ガチャを制せたか否かで人生の多くが決まってしまう。
そんな東京砂漠の中、夢すら蜃気楼と化してもはや歩むことすら諦めている人も多いよね。せめて、肩を寄せ合える『あなた』がいれば生きる拠り所になるだろうが、そんなあなたするいない人間は朽ちるしかないのだろうか。
叶えられる夢もない、愛に掴まれるあなたもいない、そんな孤独な人間の行き着く先は……。
行き先もわからないままジャングルや砂漠に放り出される現代社会。地図に頼らずに己の磨いたセブンセンシズで方向を見定める、アグレッシブに取りに行く。
もしくは、小動物と自覚や割り切りを持ち寄り添える誰かを見つけ、小さな世界を構築していく。
それが現代社会の生き方かもしれない。
問題は、その二つからこぼれ落ちた人間。それは、もはや氷河期世代などの世代では語れない問題。
そこをどう解決していくべきなのか。
オルタナティブな価値観を構築し、新たな世界を作り出すしかないのかもしれない。
そんな創造する能力を持っていたら……。
努力と友情で勝利を掴める時代は終わったが、新しい形の友情を育む努力をして、弱肉強食を勝ち抜くマッチョな勝利とはまた違う形の勝利を目指すべきなのだろう。
就職氷河期世代の戦いはまだまだ終わらない!!
就職氷河期世代先生の次回作にご期待ください!
支援いただけるとより幅広いイベントなどを見聞できます、何卒、宜しくお願い致します。