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エレベーター前まで挨拶する意味ってなによ?


つまり日本において「マナー」と呼ばれるものは、本当の意味でのビジネスマナーではなく、どちらが上でどちらが下なのかを示す身分社会的な行為と考えた方がよいでしょう。

上下関係を過剰に意識し、それを常に明示的に示す必要があるという社会的要請が、謎マナーの正体だと筆者は考えます。もし、そうであれば、仮のひとつの謎マナーをやめたとしても、次の謎マナーがすぐに登場して来ることは容易に想像できます。なぜなら、社会を構成する一定割合の人が、上下関係の誇示を強く求めており、それがビジネスマナーという形で具現化しているからです。
mi-molletの記事より

ビジネスパーソンをやっていると、時折何のためにこのルールを守らないといけないのかなと疑問に思えてくる場面に出くわす。
上記の記事にあるような、飲み会でのビールラベルの向きや名刺交換の際の相手よりも下へなどなど、それは多岐に渡る。もしかしたら、大部分が「必要?」と疑問に思ってしまうかも知れない。
しかし、それは記事にある通りに相手と自分との身分を明確にするためのもの、まるで武家社会のような空気感である。礼儀作法と表現してしまえば誰でも納得してしまいそうだが、ではそれをやらなければ本当に無礼に値するかは疑問が残るものばかりだ。
記事で指摘されているような、早く行きすぎては相手の用意がまだできていない可能性があり、それを考慮したものというのは納得がいく。そういう合理性が認められ、相手と自分がwin-winの関係になるなら疑問を持たずにやればいいが。
しかし、お互いに昭和の時代から続く礼儀だからと何も考えずに実行しているのは本当にいいことなのだろうか?

筆者が最近気になって仕方ないのは、商談相手などの来客が帰る際、エレベーター前(玄関前)まで見送り、ドアが閉まるまで(相手の姿が見えなくなるまで)深々と礼をしながら見送る作法だ。こんなの、何の意味もない。
わざわざご丁寧に見送られることにより、特別感が生まれ上機嫌になる、なんて効果が人によってはあるかも知れないが、もはや義務化されていてそんなことだけでいい思いに浸る人間など皆無ではなかろうか。
なら、いちいちエレベーター前(玄関前)まで雑談しながら向かい、頭を深々と下げる時間と行為が勿体無いではないか。会社の扉前で「ありがとうございました」「宜しくお願いします」などと軽く投げ合ってサラッと別れた方がサッパリしている。どうせ、毎回毎回重要な商談があるわけでもないだろうし。

こういう普段から行うマナーや作業に、「それ、本当に必要?」と疑問を投げかけることって本当は大切なことなんだよ。
周囲の雰囲気に流されて、何も考えずに無駄なことをやってしまっている人は世の中多いはず。そういう全体主義的な思想は、これほど激動の世の中になってとなるとむしろ危険な思考パターンではないか。

「その行為にどれほどの意味があるのか? 省いても大丈夫ではないか? 代替的行為はないのだろうか?」
そういう柔軟な思考こそ、皆ができるようにしてほしい。

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