the gift 統一地方選挙落選後1カ月
現在は2023年の5月11日である。
実はこのノートに色々と記事を書いていたが、消してしまった。
2023年の統一地方選挙において神奈川県会議員候補に予定されたときに、過去のことを色々と人に言われたら嫌だな〜と、愚痴っぽい記事は消してしまった。
久しぶりにnoteに書いているのは、4月9日の統一地方選挙で落選したあと。1カ月経った。
14,929票を頂いたにもかかわらず、たった24票差で落選した。
赤の他人だと「へー」っていう感じだろうけれど、落選というのは本人にはものすごい心の傷となるね。でもこれは落選した人にしか分からない傷なんだろう。
もちろん我が事のように責任を感じてくれるボランティアスタッフや応援者も多くいてくれた。「泣いて泣いて」と、私より泣いてくれた人もいた。しかし何票差であろうと負けは負けで、受験でも1点足りなくて不合格もあるわけだし、覆しようがないから、諦めきれないと言っても諦めるしかない。
落選したときに、この気持ちは『大失恋』のようなものだと思った。選挙というのはものすごい胸の高まりが起こる。とにかく戦うのだから、その戦いのためにも何年も心構えをし、また公認をいただいてからは準備に明け暮れた。そして9日間の戦いにテンションMAXに持っていくのだ。
「東京ドーム連続9日間コンサート!」のような体力の限界に挑戦という気持ちと、「9日間しかない!」という焦る気持ちが交錯する。そして、
落選により、その熱いテンションMAXから、いきなりの大失恋、というジェットコースター的な喪失感に、メンタルも体も対応できない1ヶ月を過ごした。
選挙と恋愛を一緒にしたら世間様から怒られるだろうが、メンタル的にはよく似ていると思った。こちらが想っていたほど相手が想っていなかったわけで、そしてどうしても元には戻らないのである。
心の病気になるかなと想っていたけれど、日々気持ちが変わるものだ。全てを失ったように思ったが、得たものもあったかもしれないとも思う。だけどどうしようもない喪失感が何度も襲う。そしてまた立ち直る。これをちょっとずつ繰り返していくしかない。
初めての選挙で終わってみてやっとスケジュール感と動きが把握できたわけで、次はもっと手際良くできそう?と頭で復習もし始める。(これはこの度惜しくも敗れた仲間も同意見。しかし次がもしあっても慌てるだろうなと思うし、次が必ずあるとは限らないですよね)
コロナ禍の間に、政治塾に通い、3年目の途中で党を移籍した。コロナでどうしても人と顔を突き合わせる機会は減り、握手もできないし、そう言った中の勉強からの選挙だった。
私が「日本維新の会」の公認候補予定者となったときに、あまりに驚く人が多く、その中では、自民党から出馬でなくなぜ維新なのか?と何人かに怒られた気がする。(これについての回答は誤解を招く恐れがあるのでまた機会があれば)
歌を教えていた生徒さんたちは、先生に捨てられたと言った人もいたし、何せ私の周りは想像を超えて態度が変わっていった。
しかし自分の中では、出馬は至極自然な流れだったかもしれない。
2018年、ある小さな事件をきっかけに、地元政治家の手伝いをすることになり、それから様々な選挙ボランティア、政治資金パーティーでの演奏、大臣から地方議員まで集まる中「君が代」を独唱させていただいたこともある。そのようなお付き合いが多くなり、私の選挙区であった青葉区の国会議員と地方議員の皆様のほとんどの方とお話させていただいた。
地域活動や地域音楽イベントも何年も続けてきたし、(十分地域の役に立っていたかは別として)自分の中ではごく自然な流れだけど、出馬に抵抗感を露わにした人も多かった。
それでも想像以上に応援の声も聞こえた。まあ何せ初めてなので、どのくらいの応援がどのくらいの票になるかなんて全然分からないし、自分は不安しかなかったが、周りが楽観していた。私が当選するだろうと思っている人が多かった。
しかし私は世の中そんなに甘くないことも承知していた。2万票近くは目標にしなくてはならないのに、新人で基礎票がない。組織票もない。選挙は現職が有利にできている。医師会、薬剤師会や弁護士会や郵便局などの組織は、友人でもみんな自民党しか応援しないと言うから、打ちひしがられたことも多々あった。
だいたいライブをやっても100人集めるのは至難の業なのに1万人以上の数は想像し難い。
そして、女性候補者が増えてきたとはいえ、家庭や子供があっての選挙はやはり厳しい。それを言い訳にもしたくないし、とにかく家庭と選挙の天秤で常に葛藤していたと思う。
そんなこんなの中、手探りであった選挙も、「当選ありき」で考えなくてはならない。だるまを用意し、当選した時を想像しながら毎日を過ごす。
そんな中、思い返すといくつかの不幸があった。確実に不利に傾いただろうと思う瞬間があったと思う。大きくは、「日本維新の会」に私を強く押してくれて紹介してくれた元神奈川県議会議員の方が、私が公認を得てすぐに亡くなってしまったことだ。私は、このことがとても不安材料になった。人脈がない、と思った。やはり元議員の方は地元にとても強い人脈がある。その方はとても強引に人を寄せ付ける人だったので、亡くなったことには、悲しみと共に大きな不安が押し寄せた。
もちろん、絶対に味方になってくれそうな人が去って行くなんてことはアルアルだ。でも最大のプッシュが居なくなったことは不安材料でしかない。
そうあってもとにかく経験者でも未経験者でもやろうと、なんとかボランティアスタッフを集めていったが、私を含め皆がほぼ素人であった。ビジネスに長けたメンバーではあったが、選挙事務所経験者や元議員や元秘書などはいなかった。
もうひとつの不安材料は、私は県会候補であったが市会候補が途中で急に入れ替わったことだ。私は市会候補の男性(元市議会議員)に色々と教えてもらいながら駅頭活動をしていた。それが神奈川支部の方針で人間が入れ替わってしまった。彼を相当に頼りにしていたのだが突然居なくなってしまったことが不安にもつながった。
いずれにせよ、大小さまざまに思うようにいかないことがあったが、なんとか準備できることからしなくてはならない。
私は、ステージ演奏をしてきた経験からでしか、人に声をかけられない。政治家がどうやって人の心を動かすのか体験していない。見よう見まねでしかない。
本当にいい人材が政治家になっているとは限らないのだが、(例えばガーシーとか●HK党の誰それとか、迷惑な人材も多いわけだから)、仕事ができようができまいが、それとは関係なく「選挙に強い人」がいる。
何せ初心者でどうすれば選挙に強い人になれるのかは、私には未知の世界だった。
なんとか駅で演説ができるよう、人の演説を参考にした。ライブステージの合間のおしゃべりや、ラジオパーソナリティーの時のライトなお喋り、例えばちょっと面白いウケることとか、まったりした他愛もない話とか、そういうトークには慣れてきていた。しかし強くたくましい信頼のおける演説を目指すには、程遠い自分がいた。
田中角栄から、オバマ大統領、歴代首相、そして女性国会議員、地方議員までの演説をYouTubeで見た。しかし何が人々の心を掴んでいるのかピンとこない。よく聞くと大した内容を言っていないような・・・しかし、すごく響くような。言葉の選び方とか、間の取り方とか、演説の奥深さを思い知った。
私にしかできないことをやるしかない。もう開き直るしかないと。
一番心配なのが演説だった。
あとは個別訪問をどのくらいしたら良いのか?
どのくらい電話するのか?
多分、選挙にはもっと常識外れな図々しさが必要だったのだろう。
駅頭で「あなたのその押し付けがましくないところが良い、ただワメいているだけじゃダメよね」と言われることもあるし、「もっと元気ハツラツとしなきゃダメよ!」なんて叱咤激励ももらった。
しかし人はそれぞれ個性っていうものがあるから、私がもし魅力がないようで中身もないように見えるなら致し方ない、と開き直るしかなかった。
それでも、選挙前に、突発性難聴になるわ、異常な肩こりと腕の痛みが起こるわで、体に変調が出た。突発性難聴は、小さな音が異常に大きく聞こえるので、本当に辛い。耳栓をポケットに持って歩いた。薬もあまり効かないくらいだった。(今は軽度となった)
選挙は、当選したとしても4年に一回、訪れるモノなので、政治家として仕事をするためには、この大騒ぎを定期的にしなくてはなれない。
これは民意をちゃんと反映するのか、いや勿論しているんだろうけれど、この「世間お騒がせイベント」でしっかり票を頂かなくては、どんなに政策を練っても最初の門をくぐれない。日本の選挙は世界から見てもとても変わっていると聞く。電柱にもペコペコするとかいう笑い話も。
まあでもそんな心境にもなった。誰を見てもお願いしたくなる。しかし実際はそんなに厚かましくはできなかった。それが普通の人の心理だ。普通でいてはいけない、それが選挙なのだ。
今は選挙が終わって1ヶ月が経ったところだ。
歌の仕事をやめることにした。大きな覚悟を持って出馬したわけだから、最初から戻らないつもりでいた。心残りはない。音楽は楽しむためにあるのだからまた楽しめば良い。
それに少なくともプロ活動をこれからまた立ち上げるのには最初のアクセルが困難だ。既にファンの方々は多かれ少なかれ去ってしまったこと、政治色がついたこと、自分も新しい人生を歩む決意で出馬したこと、もうジャズシンガーとしての後悔がないこと、など様々な理由から、「プロ活動は引退としたい」と思った。
音楽はアマチュアでならいつでもやりたい時に、儲け関係なくやれるから、今後全然やらないわけでもない。
ただ厳しいジャズ業界にまた身を戻す必要はないと思った。
新しい自分になろうとしていたのだから。
だから今、無職だ。
しかし、この無職という状態は、人生で初めてなのだ。この時間がものすごく大切な時間にも思えてきた。働かないということは、仕事のストレスはゼロ。あとは勉強するのか、また職を探すのか、ボランティアをするのか、自由なのだが、まだ決めないでいる。(少し休んでいられる蓄えはあるがそのうちなくなるだろう)
24票差で敗れるとは、何かお導きのような気さえしてくる。あえて落選させられたような気もする。私は割と運がいい方で、努力なのかタイミングなのか、頑張れば成果が得られてきた方だが、今回は様々な不運が重なったうえに、最後の不運が、24票差だ。
それは、もはや、「天使の悪戯」的な運だ。
今この時間がギフトなのかも知れない。中途半端だったものをしっかり整理して、次なる人生に臨みたい。それが今の心境。それが、政治家なのか、何なのか。たとえ今後また政治家を目指したとしても、政治の世界はビジネスと違って世の中の動きに振り回される。いつどんな世界になるか読めないし、操作もできないし、政党もどんどん変わるし、災害も戦争も起こる。だからまだ読めない。しかし小さな光は見える。
まだ私は、人生の完全引退はしない。
いかようにも生きていけるよう、まだまだ勉強が足りなかったのだと思って、更なる自己研鑽をおこなっていきたい。そのためのギフト時間だと思っている。
黒田ナオコ
このたび応援をいただいた皆様には心より感謝申し上げます。選挙は全て私の責任において行いました。
これからも地域の課題に向き合い、より良い神奈川・横浜・青葉区のために尽力いたします。