僕とあなたで作るもの
noteにて「毎日投稿」というものをしている。
プロフィールにそう書いてあるし、行動としても120日くらい続いている。
このくらいやっていると「毎日投稿は普通でしょ?」という感覚になってくるが、実はもっと変なことをしている。
1日2記事投稿。
週に4日(月火木金)、お昼に『3行日記』を投稿し、17時にいつもの長文を投稿するという「2記事投稿」をしていて、これを始めてそろそろ1ヶ月経つ。
今日は、その振り返りができればいいなと思っている。
まず最初に結論を言うと、たいへん。
僕は長文を書くのが好きである。
なぜなら、ダラダラ書けるから。
文字数が決まっている文章は、削ったり付け足したりといった「調整」が必要になる。
そのために言いたいことが言えなかったり、逆に言いたくないことを付け足したりするはめになる。
長文では文字数を考えなくていい。
だから好きだ。
それなのに「3行日記」というものを始めた。
長文が書ける”note”という媒体で、あえて「3行」という縛りを設けたこの書き方。
僕の「3行」の定義は「。(句点)」が三つ。
「3行になるかどうかは読者のデバイスによって異なるから」という理由である。
言い換えれば「三文日記」だ。(二つの意味で)
しかしこの「3行日記」には、僕の苦手が詰まっている。
「3行」という縛り。
まぁマイルール的には1文を長くしてしまえばどうとでもなるのだが、それでは読みにくいし、「3行日記」の趣旨にも反する。
常識的な1文を三つ書き、かつ内容がリンクして、「3行日記」として収める。
これがすごく難しい。
一般的に考えれば「長文を書くのが難しい」なので、長文の方で苦戦して「たいへんだ」と言っていると思うだろう。
しかし長文の方はストックがある。
逆に3行日記にストックがない。
だから当日執筆、当日投稿である。
文量が少ないので、まだこれで続けられているが、先は靄がかっている。
なぜこんなことをしているのだろう。
好きな長文だけ書いていればいいじゃないか。
そう思うだろう。
僕もそう思う。
が、やっているからには目的がある。
一つ目は単純に「目に見える回数を増やす」こと。
「単純接触効果」と言われるやつで、例えるなら霧雨である。
霧のように細かい雨で「このくらいなら傘いらんだろ」と外に出て、しばらくすると濡れているように、一つ一つは小さなものでも、量でゴリ押す物量作戦。
1日に2回、タイムラインに現れるのだから、目にする回数は増えるだろ。
それに「3行日記」は、note公式のお題である。
普通に見てもらいやすい。
3行日記を読んで「コイツおもろいやんけ」と思ってもらえれば、長文の方も読んでもらえる。
そんな思惑で始めたはかりごと。
上手く行っているのかはわからない。
そこまでフォロワー数にも、ビュー数にも影響がない。
というか、投稿数増やしてビュー数が変わっていないのだから、むしろマイナスなのかもしれない。
が、「3行日記」で何かを掴みかけている。
その何かとは「余白」のこと。
長文ではすべてが書ける。
それは想っていることが全部書けるので、僕的にはいいことである。
しかしそれは、読者が考える「余白」を奪っているのかもしれない。
その「余白」を、文字数を縛った”3行日記”という場なら作れるかもしれない。
書きたいことを削って、遠回しにして、考えてもらう。
「本は書き手と読み手の会話である」ということを聞いたことがある。
書き手がすべてを話して、読み手がすべてを聞いていたら、それは独りよがりなセックスみたいなものである。
二人でするものなのだから、二人で楽しまないと。
とにかく「余白」というものがあることがわかった。
あとはそれを作るだけである。
それができれば、もう1歩前へ進める気がするのだ。
「3行日記」はまだまだ不得手ではあるが、楽しくやっているので続けて行きたい。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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ではまた👋