あんな話をしてごめんなさい。
よくよく考えてみると「表現することって悪いことじゃないよな」と。
昨日のnoteで「皇室」の話をした。
僕自身が日本史好きなこともあり、ニュースでも「女性天皇論」の話があり、「僕はこう考えているよ」という考えがあったから。
ただ、最後には「偏った(右翼的な)考えを言ってごめん」と謝った。
この「ごめん」は、「間違った考えをしていてごめん」という話ではなく、「そもそもこれを題材にnoteを書いてごめん」という意味。
書きたくなかった。
でも頭の中で考えがまとまっていってて、代替案を考えるゆとりがなかった。
だから「違う考えの人がいる」というのをわかりつつ書いた。
そこには「意見を言われる=悪いこと」という意識がある。
ソーセージをかじる。
すると友達が「いい音出すね」と言った。
僕はそれに「ごめん」と返す。
友達はソーセージの「バリッ」という音を”良い”と思ったから言葉を発したのだと思う。
だけど僕は「咀嚼音」というものが嫌いだ。
だから僕は音を立てないように食べようとしている。
ただ、固いを食べれば「バリバリ」と鳴るし、弾力のあるものは「もにゅ」みたいな音が出る。
そういうのは指摘されたり、嫌な顔をされなければセーフだと思っている。
今回はソーセージの「パリッ」という音を指摘された。
それは良い意味であれ、悪い意味であれ「咀嚼音をまき散らした」ということ。
僕はその事実に対して謝る。
「人にされて嫌なことは自分もするな」
そう親に言われて育ってきた。
僕は「咀嚼音」を聞くのが嫌だ。
ただ、咀嚼音への嫌悪感は「クチャラー」とか「麺をしゃぶるようにすする人」が嫌だという普通の嫌悪感だと思っている。
逆にポテチの「バリバリ」やソーセージの「パリッ」には何も思わないし、「いいな」と思ったとしても声には出さない。
それは「咀嚼音を聞かれる」のも嫌だからかもしれない。
ただ、生きるためには食わなきゃいけないわけで、食べるということは少なからず「音」が出る。
その出る音が「認識されないほど普通である」ことを目指している。
話が逸れているように感じるけど、要は「僕が思うことは相手も思っている」という、一種の”押しつけ”が僕の思考にはあるという話がしたい。
僕が意見を言うときは「それは違うだろ」って時と、好きや楽しいの「ワケ」が言えるとき。
どちらも「壁当て」の感覚で、返ってきてほしいと思っている。
それと同じで人が意見するということは、僕の論が間違っているから「修正したい」、もしくはこういうワケでそれが好きだから「そのまま行け!」ということだと思っている。
で、皇室の話に正解は無い。
つまり僕の話を否定する人もいれば、肯定する人もいて、絶対的な”答え”が存在しない。
まぁだから、争いが生まれたら収拾がつかない。
ならば、その根本原因は表現するべきじゃない。
そんな風に考えた。
しゃらくせぇ!
そうやって後回しにしたツケは、必ず後で請求される。
そしてそれは大抵めんどくさい。
「女性天皇論」だって、いざ愛子さまが天皇になるぞって時に言っても遅いんだよね。
そして昨日のnoteを書いてから少し調べたけど、「これまで女系がいない」って話にも疑問が出てきた。
父親が天皇で、その次に母親が天皇になって、その次に子どもが天皇になったという例があるっぽい。
そして当時は「母が取り次ぎになって」という感じじゃなく「母から子へ」っていう認識であったよう。
つまりこれって「女系天皇(少なくとも双系ではあるはず)」だよね。
だとすると、伝統的に考えても「女系天皇ってありなんじゃ?」という思考にもなってくる。
ただまぁ「男系男子」というルールで行ける方がまだいるのだから、「今はこのままでいい」というのは揺るがないかな。
普通に「天皇」という仕事が大変だから、それを「女性はしなくていい」は差別じゃなくて優遇な気もする。
という感じで、世の中的にも僕的にもまだまだ定まりきっていない話である。
「そんなあやふやな話をするのはダメなんじゃないの?」という、潔癖な考えがあった。
だけど世の中って意外とあやふやだよね。
「このグループが好きだ」って人もいれば「このグループのこの人が好きだ」って人もいるし、「いやいやこのグループならこの人だろ」という話だってある。
これに正解はない。
ただ「存在への好意」が一致していればそれでいい。
自分のスキを表現しよう。
反対されること、間違えることを恐れるな。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。
ではまた👋
【くろだSNS】
note・・・kuroda_letsgotd
X・・・@Kuro_723da
Threads・・・kuro_723da
【くろだについて】