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日本近代医学の原点/首都圏で貴重な武家屋敷の街並み/佐倉市
★「日本の城下町を愉しむ」一覧
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★城郭 佐倉城
「西の長崎、東の佐倉」という言葉がある。
幕末期の日本で蘭学、特に蘭方医学が盛んだったのは長崎と佐倉である、との意味だ。オランダ商人が出入りし、鎖国下の日本で唯一西洋に開かれた窓であった長崎はともかく、なぜ東国である下総国の佐倉なのか? それは開国を推し進めた老中で佐倉藩主の堀田正睦(まさよし)によるところが大きい。
もともと佐倉藩には成徳書院(長島茂雄出身校の佐倉高校の源流)という学問所があるなど学問が盛んだった。跡地碑が市民体育館前にある。幕末には江戸湾や房総の海防役を受け持ち、海外の知識も必要だった。正睦は若くして藩主となったが、19歳で藩の実権を握ると藩政改革を推進し、蘭学を推
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